中学校の教諭が殺人の疑いで逮捕された。野球部の指導をしたこともあり、生徒思いで熱心な先生だったとの評判もある。本人が否認と黙秘を続ける中、犯人である事が確定したかのような報道にいくばくかの疑問を感じる。
事件は今年2月に起きたもので、3か月に渡る慎重な捜査の結果としての逮捕だろうからまさか間違いはあるまいが、それでも全容が明らかになるまでは推定無罪の原則を貫くのが文明国としての矜持ではないだろうか。偽装工作という言葉自体、彼が真犯人であるという事を前提としており、もし違っていたらどうするのか。様々な偽装工作をした人が靴だけは無造作に足跡を残したのも不思議ではある。
報道では警察は動機の解明に注力しているとされるが、それよりもまず事実関係としての真相究明を第一に優先すべきだろう。防犯カメラに写っていた人影は犯人のものに間違いないのか、そしてそれは彼のものに間違いないか、アリバイ工作のためのタイムレコーダーはいつ誰が押したものなのか、現場に残されたマスクに付着した血痕の鑑定結果はどうかなど、当然調べはついている筈だが、全く報道されない。犯人とされる教諭が数百万円の借金を抱えていた、などは動機を補完するものとしての意味はあっても、犯行の事実解明とは直接の関係はない、言わずもがなの事ではないか。
まだ有罪と決まったわけではない人が実名のみならずそのプライバシーまで洗いざらいされるのに対して、はっきり自分で犯行を認めた人の実名が報道されない。名古屋の県立高校の教諭が女子高校生にみだらな行為をしたとして懲戒免職処分になったケースでは本人が「18歳未満とは知らなかった」と事実を認めているのに、実名は報道されない。犯行が殺人に比べて軽微だからだとでも言うのか。
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