表題の言葉は私の造語で、そんな言葉はこの世に存在しないのだが、それでもちょっと首を傾げたくなるような事例に出くわす事がある。
先日和歌山で応援演説をしている岸田首相に爆弾が投げ込まれる事件が起きた。幸い怪我人は一人も出なかったが、そのニュースの中で気になる文章があった。それは「SPが爆発物を聴衆側に蹴りだした。」というもの。その記事では「SPは首相を守るのが彼らの役割で爆発物の処理ではない。」としてやむを得ない処置だったとの評価だったが、本当にそれで良いのだろうか。もし多くの群衆が集まる中で爆発が起きていたら、多数の被害者が出る羽目になっただろう。それは首相一人を守る代償として許される事なのか。
民主主義とは少なくとも字面では「民」が「主」であると言っている。一人の公人を守るために多くの民が犠牲になる事は民主主義の主旨に反するのではないだろうか。ではSPはどうすれば良かったか。まずあたりを見渡して人影がまばらな場所があればそちらに爆発物を蹴りだす事。360度どこにもそんな場所がなければ自らが爆発物の上に覆いかぶさって他に累が及ばないようにすべきだったのではないか。それ位の覚悟を見せれば心底からの賞賛を受けたであろうに。
スーダンからの退避についても官主主義の匂いを感じた。幸い国外脱出を希望する全員の退避が実現できたようだが、当初は大使館員とその家族が優先されるかのような報道があった。それを聞いて第二次大戦末期、開拓民を置きっ放しにして真っ先に満州から逃げた軍人、沖縄では民衆に向かって「我々の盾となれ」と言い放った軍人がいた事を思い出した。国防と言う大事な仕事をしている我々を守るのは当然だとの論旨だったとか。まさに官主主義の発想だった。
0 件のコメント:
コメントを投稿