2026年8月11日火曜日

信賞必罰

 熊本地震で被災された方々には心よりお見舞いを申し上げたい。ニュースを聞くと、避難所に行きたいが空き巣被害が心配で仕方なく車中泊を続けている人がいるとか。こんな時に空き巣を狙う輩がいるとは。まさか同じ地方の人がそんな事をする筈もないから、遠くからわざわざやって来てそんな悪事をするのだろう。そんな奴には必ず天罰が下って欲しいと願わずにはいられない。陰徳陽報で、陰徳が報われないのには多少我慢できても、悪事に天罰が下らない事には我慢がならない。

こんな心情は神道に特有なのだろうか。神社の境内にある絵馬にしろ、拝殿で柏手を打った時にしろ、願い事は神道と極めて親和性が高い。様々な神様がこの世のシナリオを書いていて、どうかそれが我々の望むストーリーになりますようにとお願いしているかのようだ。

仏教はちょっと違う。仏様の前で唱える「南無阿弥陀仏」とか「南無妙法蓮華経」とかは「阿弥陀仏に帰依します」のように、自分の意思表明をしている。「貴方を信じて全てをお任せします」と言っている。言外には「だから良い事をして下さいね」とお願いしているかも知れないが、そのお願いも「浄土に生まれ変わらせて下さい」のように、現世とは違うような気がする。

キリスト教ではどうか。ある人に「教会で祈る、って言うけど、祈るって何?」と聞いてみたら「ううん、、、感謝してる、かな」との答えが返ってきた。確かに西部劇などを見ると、家族で夕食を囲んだ時など、感謝の言葉を述べているシーンがよくある。こちらも神様に何かお願い事をしている訳ではなさそうだ。尤も一神教の神様はもの凄く強大だから、こちらの願い事などに耳を貸してはくれないだろうが。

でも、神道の徒である私は信賞必罰を願わずにはいられないのだ。

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