熊本の被災地では酷暑の中、未だに水も電気もない生活を余儀なくされている人達がいる。そのご苦労は如何ばかりかとお察しするが、しかし良く考えてみるとつい百年前迄は殆ど全ての人がそういう水道も電気もない状態で日常生活を送っていた事に驚く。
私が小学生だった頃母が良く言っていた事だが、人生で一番嬉しかったのは家に水道がついた時だった、と。一番上の兄が徴兵に取られ、残された三姉妹の末娘として、彼女の仕事は毎朝井戸から水を汲んで台所にある水瓶を満たす事だった。その仕事から解放された事が余程嬉しかったのだろう。私が物心ついた頃には流石に殆どの家に水道は完備していたが、電気は電燈とラジオしか用途がなかった。扇風機はおろか、熱源としての電気利用もなかった。ある時、父がニクロム線の電熱器を買ってきたが、イカや海苔をあぶる程度なら兎も角、とても湯を沸かせる力はなくて、子供心に馬鹿にした記憶がある。
水は井戸から汲み、熱源は薪や炭、そういう生活をつい最近まで我々は送って来たのだ。なのに今では水道が止まった、電気が来ないと言って大騒ぎをする。科学技術は人間を弱くしてしまったのだろうか。
全国の自治体で水道管の経年劣化が進み、災害時の水の確保が問題になっている。法定耐用年数を過ぎた管路の長さは25.4%に上るとか。そんな中、井戸が見直されているらしい。費用も工期も掛らず万が一に備える事が出来る。大変に結構な事ではないか。井戸水は夏は冷たく、酷暑対策にも少しは役に立つだろう。井戸水の恩恵に与る事により、人間が自然の恵みの有難さや、自然に対する敬意を再確認するきっかけになれば良い。
昨今の環境保護だとか、地球にやさしくだとか、人間の思い上がりに思えて仕方ない。
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