2019年12月24日火曜日

弱者の権利


二か月程前になるが、ウィーンなど中欧四カ国を回る七泊八日の旅をした。

ウィーンの街中を歩いて驚いたのが歩行者用の信号だった。日本と同じように青信号は人の歩く姿、赤信号は立ち止まる姿が描かれているが、その人影が変わっている。どう見ても男同士と思われる二人が手を繋いで歩いている。しかも二人の間にはハートマークまでが描かれている。「あれ、ゲイじゃないの」と現地ガイドに尋ねるとまさにそうだった。描かれている図柄はゲイパターンだけじゃなく、女性二人が手を繋いでいるレズパターンや、勿論普通に男女のパターンもある。男女の場合は女性が先に立って男性を引っ張っている図で、如何にも!と思ったものだ。

現地のガイドによると、近年LGBTに対する配慮からかなりの予算を使って信号機の取り換えが行われた由。それを聞いて少し複雑な気持ちになった。

確かに社会が弱者(LGBTが弱者か議論もあろうが)への思いやりを欠くのは良くない事だ。だが逆に弱者が必要以上に権利を主張するのも如何なものかとも思う。例えば私が病に倒れ家族の看病が必要な身になったとしよう。家庭内弱者になった私が「俺は病人なんだからちゃんと世話をしろ」などと看病を当然の事として威張ったら、つまり権利を主張したらやはりまずいのではないか。『「すまぬすまぬ」を背中に聞けば「馬鹿を云うな」とまた進む』、控えめな弱者を社会が温かく見守る、それがあるべき姿ではないだろうか。

そんな事を思っていたら、経産省の性同一性障害の男性が女性トイレを使う権利を主張して勝訴したというニュースが飛び込んできた。これについてはまた別稿で。
今年もご愛読ありがとうございました。年明けは七日からお目にかかります。皆様良い年をお迎えください。

2019年12月17日火曜日

桜を見る怪


何かとても信じられない事が次々に起きる。

参加者名簿をシュレッダーに掛けたとか、そのバックアップデータを削除したとか、それはシンクライアント方式だから復元できないとか、そもそもバックアップデータは行政文書ではないとか、反社会的勢力は定義できないとか。一体どうなっているんだ。

パソコンの中のデータが復元できない理由でシンクライアント方式が出てきた時には耳を疑った。全く理由になっていないからだ。シンクライアント方式とはデータ保存にどの記憶媒体を利用するかというだけの問題で、復元できるかどうかの問題とは関係ない。

そうこう言っている時に神奈川県の行政文書を記録したハードディスクがネットオークションに流出して大騒ぎになった。そこではデータを消去するとはどういう事かが詳細に語られた。つまり本当にデータを復元不可能にするためにはハードディスクを物理的に破壊するしかない、と。

内閣府のシンクライアント方式のサーバーは他の行政文書も一緒に保管してあるだろうから、まさか桜を見る会の名簿だけのためにディスクを物理的に破壊したわけではないだろう。

どうしてこうも支離滅裂な苦し紛れの答弁が繰り返されるのか。ネットで伊東乾氏の推理では、憲法第七五条があるから内閣総理大臣自身は実質的に刑事訴追されることがなく、「首相案件は立件できない」から「首相案件は立件してもしょせん潰される」「首相案件は関係してもろくなことにならない」となり「首相案件は、率先して潰すことで点を稼ぐことができる」になっているのではと。

それにしても「いくらなんでもそれはちょっとマズイですよ」と諫める人が一人も出て来ないのは嘆かわしい。そんな骨のないクラゲのような人達に国を任せて大丈夫なのだろうか。

2019年12月11日水曜日

大嘗宮の不思議

大嘗宮の内、悠紀殿が女千木、主基殿が男千木であった事は3日のブログで報告した通り。
ところが國學院大學の博物館で行われた大嘗祭の企画展での展示物を見ると両方とも男千木だったりする。一体何が本当なのか?質問したかったが学芸員さんが不在で質問できず。今回の清水建設が造った大嘗宮は元文三年の資料を基にしたものと思われます。


2019年12月10日火曜日


天皇陛下の第一人称と言えば「朕」を思い出す。「朕惟フニ」は教育勅語をはじめとしてよく耳にするフレーズだった。戦後人間宣言を経て、天皇陛下がご自身に言及する際どんな言葉をお使いになるのか、興味をもって即位の式典を見ていた。

皇居前広場で行われた国民の祭典の最後に二重橋の上で述べられた天皇のお言葉、一人称で語るべき文章は沢山あったがそのいずれもに主語は省かれていた。「宣明しました」「感謝します」「嬉しく思いながら過ごしています」「お見舞いを申し上げます」「心から願っています」などなど。主語を敢えて明記しなくても文章が成立する日本語の特質が活かされてるが、どうしても一人称の主語を言わねばならない時にはどう仰るのだろう。中には「私たち二人で新たにしてきました」という表現があるからやはり「私」か。

「朕」という言葉が最後に使われたのは昭和二十一年の年頭の「新日本建設ニ関スル詔書」所謂人間宣言だろうか。国立公文書館でそれを読んだ時は感動した。新年を迎えるにあたり明治天皇が国是とした五か条のご誓文を再確認し、以下「朕は茲に誓いを新たにして国運を開かんと欲す。須らく此の御趣旨に則り旧来の陋習を去り、民意を暢達し、官民挙げて平和主義に徹し、教養豊かに文化を築き、以て民生の向上を図り、新日本を建設すべし。(中略)

同時に朕は我国民が時艱に蹶起し当面の困苦克服の為に又産業及文運振興の為に勇往せんことを希念す。我国民が其の公民生活に於て団結し、相倚り相扶け、寛容相許すの気風を作興するに於ては能く我至高の伝統に恥じざる真価を発揮するに至らん。」と続く。
バブル崩壊後元気のない日本だが、令和の今こそ「我至高の伝統に恥じざる真価を発揮」すべき時ではないか。

2019年12月4日水曜日

大嘗宮一般公開4

最後は平川門を出て竹橋を渡る。
綺麗な橋だ。竹橋というくらいだから昔は竹で出来ていたのだろう。現在の橋はいつ建てられたものなのか。(ネットで調べてから投稿しろ?!はい、ごめんなさい。でも竹橋でググったら、違う橋が出てきた。地下鉄竹橋駅から北の丸公園に向かうコンクリートの橋を竹橋というらしい。この橋は竹橋ではないのか?)
関東大震災や空襲などによる火災の際、燃えたのではないかと心配だが、欄干の擬宝珠が注意を惹いた。建設年月日と建設に携わった大工の名前が書いてある。大工の名を残すなんてなかなかやるじゃないか、と思って隣の擬宝珠を見ると、今度は大工の文字を掻き消して長谷川越後守とある。あれー?!大工が自分の名前を書こうとしたらお偉いさんがやってきて書き直させたのか?普通こんな事をしたら全体を作り直すと思うけどなあ・・・
欄干の擬宝珠全部見ると、あるものには大工の名がそのまま、あるものは大工の文字を掻き消して、とほぼ半分づつだ。一体これは何を意味するのだろう??


大嘗宮一般公開3

大嘗宮一般公開で皇居内の色んな事が気になった。
まずは石垣。
富士宮城らを通って、本丸内に入る時の石垣は両方が実に綺麗に整っている。カミソリの歯も通らないようだ。石と石の間に隙間が沢山空いている普通の城の石垣とは随分と違う。流石は徳川幕府!と思わせる。だが、表面の仕上げがなされていない石垣もある。
最後の写真は右と左で全く違う。建設時期が異なるのだろう。最初は左右両方が一緒に建設され、右側だけ何かの理由で崩れたので再建したのだろうか?


大嘗宮一般公開2

大嘗宮、向かって右が悠紀殿、左が主基殿、説明文を読んでも二つの役割に大きな違いがあるように思えないが、悠紀殿は女千木、主基殿は男千木が乗っていた。どうしてだろう?(係員は盛んに「立ち止まらないでください」を連呼している)
千木はこの写真では分からないが、正面に面した部分は木材の皮がついたままで、後はちゃんと鉋が掛けてある。これも良く分からない。
鰹木は二本セットで、両端だけは一本、これも良く分からない。



大嘗宮一般公開

大嘗宮一般公開に行ってきました。
大嫌いな大混雑を覚悟してたけど、どっこいこれがガラガラ。
と言うのも、坂下門を潜ると、乾通りを通って大嘗宮へ行くルートと、単に大嘗宮へ行くルートの二つがあって、殆どの人が折角だから両方見ようと前者のルートを選択する。後者を選択するのはせいぜい2%か3%と言った具合。というわけで常に空いてる方が好きな私は当然後者を選び、ガラガラだった次第。
でもこちらのルートには富士見櫓があって、これが石垣に当時の面影を宿して、実に見事!乾通りを選んだ人はこの絶景が見れなかったわけだ。ザマーミロ!と思わず叫びたくなった。
だが、合流地点からは流石に混雑が始まった。まあこれくらいは仕方ないね。


2019年12月3日火曜日

体育とスポーツ

先日民放の某テレビ番組を見ていたら竹中平蔵氏が例の「体育排斥、スポーツ歓迎論」をぶっていた。平素歯切れの良い論説で竹中氏には一目置いているが、これはいただけない。
氏曰く「体育は軍事教練の色彩があるが、スポーツは楽しんでやるものなのだ」と。確かにそうした側面もあるかも知れない。アメリカの小学校で運動会を見た時は驚いた。全員が揃って入場行進をする訳でもなく、まるで遊戯会のようにいつの間にか始まって、あちこちでバラバラに進行している。ある場所ではボールを籠目掛けて投げている子がいるかと思えば、別の場所では幅跳びをやっている子もいる。オリンピックの陸上競技はトラックで選手が走っている時にフィールドでは投擲競技が行われているという具合で複数の競技が同時進行するが、まさに運動会もその方式なのだ。一つの競技が全員が注視する中で行われる日本式が異端なのか。後日行われた日本人学校の運動会で全員が粛然と行進し整列し、演壇で校長が挨拶する姿を見ると学徒動員の壮行式を見る思いがした。
しかし「体育」に罪はない。学科としての体育は戦時中には「体練科」だった。漱石は「吾輩は猫である」の中で「昔のギリシャ人は非常に体育を重んじたもので」と書いている。ラグビーがイギリスのエリート校で流行したのもそれを通じて人格形成を行う教育面が重視されての事だろう。仮に戦時中の暗いイメージが付きまとうから体育という言葉をどうしても排除したいとしても安易に西洋の概念や言葉に頼るのでは情けない。運動や競技、どうしても楽しむ事を強調したいなら遊戯なんて言葉もある。
国民体育大会が国民スポーツ大会になってしまうと「国体」は「国スポ」になるのか?二流のスポーツ新聞みたいで、それだけは勘弁して欲しい。