帰省してローカルニュースを楽しんでいる。
先日は宍道湖畔の道の駅に授乳用のブースが設けられた事が話題になっていた。人目を避けて安心して授乳できるよう、段ボールを組み立てた公衆電話ボックス程度の大きさの囲いが二つ設置されていた。それに対し「良くなった」と素直に喜ぶ人、「天井がない」「入口がカーテン一枚なのは不安だ」などと更なる改善を求めて不満を漏らす人、様々だった。
思い起こせば、この湖北線沿いの道の駅は、八年前娘がやって来た時に生後六か月の息子に授乳した場所だった。当時は当然そんな立派なブースなどなく、一般の客が往来するロビーで首から下をマントのような黒い布で覆って胸元を隠して乳を吸わせていたのを思い出す。乳を飲む側からすれば、そんな暗がりで飲むより白日の下で堂々と飲んだ方が余程気持ち良かったに違いない。
そもそも昔の女性は授乳の際に乳房をさらけ出す事に左程ためらいを感じていなかったように思う。50年前なら駅の待合室や電車の中で堂々と幼児に乳を飲ませる女性はザラにいた。日本だけでなく海外でも似た経験があって、30余年前、スタンフォード大学の夏季講習を受けているとき、隣に座っていたフランスから来た女性が授乳を始めたのには驚いた。ロの字に座って何らかのディカッションをしていたと記憶するが、相対する正面に席を取れば良かったと後悔した事を思い出す。
性に関する規範は文明の度合いが進むほど厳格化するものなのだろうか。中国の田舎に行くと、今でも用を足すのがあけっぴろげで、安心して排便も出来ない事がある。文明の進化と性規範の厳格化には正の相関がありそうに思えるが、しかし女性の水着はどんどん大胆かつ奔放なものになっている。これはどう説明すればよいのか考え込んでしまう。