ようやくまとまりかけたアメリカとイランの停戦交渉にイスラエルがレバノン攻撃で横槍を入れている。イスラエルは自国の安全を脅かすものは絶対許さないとして、先制攻撃も辞さない事を明言して憚らないが、そんな事が国際社会で許されて良いのか。
そういうイスラエルの姿勢を批判すると、西欧では「反ユダヤ主義」だとして糾弾されるそうだ。特にドイツではナチスによる蛮行への贖罪の意識からイスラエルへの批判に及び腰のようだ。反ユダヤ主義とはユダヤ人に対する差別・偏見・迫害を指し、その極端な例がナチスによるホロコーストだが、ナチス以前からユダヤ人に対する偏見・差別はヨーロッパ社会に根強くあって「屋根の上のヴァイオリン弾き」などで描かれたり、シェークスピアの作品の中に垣間見えたりする。確かに不当な偏見・差別は許されてはならないが、だからと言ってユダヤ人なら何をしても良いという訳ではなかろう。ガザでの惨状などにあまりにも目を背けていると「やっぱりユダヤ人は・・・」と、却って反ユダヤ主義を助長してしまうのではないだろうか。
6月22日NHKで放映された「映像の世紀」はホロコーストを取り上げ、その生存者で歴史家のイェフダ・エルカナの言葉が紹介された。「アウシュビッツの灰燼からイスラエルには二つの国民が生れました。一つは『二度とこのようなことが起きてはならない』と主張する少数派、もう一つは『二度とこのようなことが自分たちに起きてはならない』と主張する多数派です。」今イスラエルを動かしているのはその多数派で「だから我々の先制攻撃は許される」と考えている。パレスティナ人に対して同胞が行っている事に絶望して自ら命を絶ったプリーモ・レーヴィは少数派の一人なのだろう。
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