2017年2月21日火曜日

三文字英語

STAP細胞で世間を騒がせた小保方さんに関するNHKの報道が行き過ぎであったとの判断が下された。その判断をした団体の名はBPO。放送に関する事柄だから最初のBが「ブロードキャスト」であろうとの推測は出来るが、あとのPが分からない。記事を読むと正式名称は「放送倫理・番組向上機構」だそうだ。Pは番組を意味する「プログラム」らしい。
アルファベット三文字の言葉、良く見るが栄枯盛衰も激しい。最近トランプ政権が大幅減税と大規模公共事業を両立させるため民間の投資会社を設立してその資金で公共投資をしようという話があって、それに日本の外為特会や年金資金を使うような噂が出た。その是非はおいといて、民間の力を公共投資に利用する事をかつてPFIと言っていた事があったが、それは死語になったらしく今回はその言葉が聞かれなかった。
トランプラリーで米国の株式市場は連日最高値を更新しているが、相場を牽引するIT産業、かつてはIBMという巨人がいたが、最近それもめっきり顔を出さない。もう三十年も前になるがIBMを倒すのはDECであろうと言われた。メインフレームが中心だったコンピュータがワークステーションに主軸が移ると思われた頃だ。実際はSUNがワークステーションの主流になり、いまやDECSUNも身売りしてその影はない。
IT業界ではかつて経営革新を促進するとしてERPというソフトがもてはやされた。その主流がドイツの会社SAPだった。その会社は「サップ」と読まれる事を嫌い、理由を聞くと「だってIBMを『イブム』とは言わないでしょう」との事だった。
さて件のBPOだがWHOWTOなどの国際機関でもないらしいから日本の団体らしく「放倫審」とでも呼んだ方がいい。分かり易いし、その方が長続きしそうだ。

2017年2月14日火曜日

ドル円相場

トランプ大統領のつぶやきや、財務長官の発言などで外国為替相場が大きく揺れ動く。先週末もドル相場は1ドル=113円を越すドル高に振れ、日経平均は円安を好感したか500円近く値を上げた。1日で0.5%以上為替が変動した日の数は就任前の2倍になったそうだ。新大統領が何をやるのか分からない不安が過敏な変動を生んでいるようだ。
ところで1ドル=何円、という時これを「円相場」と呼ぶのは如何なものか。さらにおかしいのはグラフを書くとき縦軸の数値の大小を逆に目盛ったり、1ドル=111円が1ドル=113円になった時、前日比を「-2円」と表記する事だ。円が安くなった事をもって「マイナス」を付けているのだろうが、111から113への変化はどう考えても「プラス」だろう。
1ドル=何円、というのはドルの値段を言っているのだから「ドル相場」というのが正しい。どうしても「円相場」と言いたいのなら1円がどの程度の価値を持っているかを表現しなければならない。価値の基準として世界の基軸通貨であるドルで測るのはまあよしとしよう。
その方法で表記しなおすと、1ドル=100円から1ドル=120円への変化は(1円の価値は小さく表記が煩わしいから100円単位で表記する)100円=1ドルから100円=0.833ドルへの変化と表現できる。もし1ドル=80円になったら100円=1.25ドルだ。こちらの表記であれば素直に円が安くなった、高くなったを実感できる。

そもそもリンゴの相場を言うときリンゴ1個が何円するかで表現するのが当たり前で、100円で1個買えたリンゴが100円で1.2個買えるようになったからリンゴが安くなったんだ、などと言うのはおかしいではないか。円相場だけはそんな変な表現をしているのは何故だろう。

2017年2月7日火曜日

誠意と敬意

人と接するに当たってとても大切だと思っている事がある。それは誠意と敬意を忘れてはいけないという事だ。敬意の方は相手の資質にもよるから「出来れば」という条件が着くが、誠意は100%自分の問題であり、たとえ相手がどんな極悪非道な人間であっても誠意を持って接することは可能なはずだ。
一般社会で大切なこの原則、ましてや礼を重んじる外交において絶対条件だと思うのだが、その人には全くそうした気遣いがないようだ。メキシコの大統領との会見を壁の建設費を巡る意見の対立からキャンセルしたり、オーストラリアの首相との電話会談を途中で打ち切ったり。そこには敵意と慢心しか見えない。
アメリカを愛しているからアメリカの利益を害する者に対しては毅然とした態度で接するのだ、という言い分なのだろうが、こうした誠意と敬意を忘れた対応はかえってアメリカの利益にはならないように思う。少なくとも国家としての品位を著しく落としている事は事実ではないか。こんな事をしているとかつては全ての国から敬意をもって迎えられたアメリカが次第に敬意を失くしてしまうかも知れない。
相手が敬意に値しない人でも誠意だけは忘れまいと努めているように見えるのがアメリカの相手国だ。だが、誠意と阿諛、迎合、追従を間違えてはいけない。毅然とした態度というのは強い国が弱い国に対して見せるものでなく、むしろ弱い国が取るべき態度なのだから。

「アメリカ・ファースト」という言葉はアメリカへ愛国心の表れだ。仏教では「愛」は執着の原因となるとして否定的に扱うのだそうだ。私個人的には「愛」は至上の価値のように思えるがアメリカの傍若無人な大統領を見ていると、仏教の教えに従って「愛」を見直さないといけないような気になってくる。

2017年1月31日火曜日

現代史

アパホテルに泊まってみた。予想に反してロビーは中国人であふれていた。仲間同士が大勢で遠慮もなく大声で話す様には流石に閉口するが、偏見を戒める光景もある。フロントで夫婦としき温和な顔立ちの高齢の二人が人民元を円通貨に交換し最後にはThank youと笑顔で丁寧に挨拶していた。ごく普通の一般的中国人の姿がおそらくそこにある。
部屋には話題の本、「誇れる祖国 日本復活への提言 本当の日本の歴史 理論近現代史学」が置いてあった。当然中国人が宿泊した部屋にもおいてあったはずだ。この本、右開きの縦書き本としては日本語で、ひっくり返して左開きの横書き本としては英語で書かれて、中国語の記述はないから特別に報道に接しない限り中国人が気にする事はないではないか。テレビで大騒ぎになっているのは例によって自虐史観左翼による御注進か、単なる過大報道か。
本をパラパラめくってみると出版の趣旨が「そこで私は『理論近現代史学』すなわち近現代史を、真実の断片を集めて整合性が採れ、ありうる話かあり得ない話かという観点から、理詰めで検証していくことを提唱したい」であり、具体的証言や物証から考慮すると「張作霖爆殺事件はソ連特務機関の犯行である」、「南京大虐殺は中国側のでっちあげだ」、「ハルノートを日本に提示した時点で開戦は決定的だった」などが主張されている。こんな事を言われたら中国人として文句の一つも言いたくなる気持ちも分かる。

日本の近現代史と言えば私が一番信頼しているのは東大の加藤陽子という先生で、今その著書「それでも日本人は『戦争』を選んだ」を読んでいる。日清戦争から始まって太平洋戦争まで、当時の軍人の日記などを紹介しながら冷静に世相が分析してある。機会があれば内容をいずれ当欄で紹介したい。

2017年1月24日火曜日

読み書き

ある新年会で小学生と中学生の子供を持つ女性から聞いたのだが、最近は小学校でも英語を教えるのだが、アルファベットの筆記体は中学校でも教えないのだそうだ。どうしてだろう、そんな事で良いのか、というのが件の女性の疑問と心配であり、私も意を同じくした。
確かに昨今は英語に限らず何か文章を書くのにパソコンやワープロを用いることが多かろうから、筆記体の出番は少ないのかも知れない。しかし頻度は少なくても他人が手書きしたものを読む機会はあるだろうし、aやcやeなら特に習わなくても活字体からの類推で分かるだろうが、fやrやsなどは教わらないと読み取れないのではないか。
私自身中学生の時、英語の筆記体は教えるのにどうして日本語の筆記体は教えないのだろうと思った事がある。変体仮名は筆記体とは違うかも知れないがともかく、美術館や博物館へ行って展示物に書かれた日本語が読めないのが残念でならない。「能」を崩して「の」と読ませたり、「耳」を崩して「に」と読ませるなど義務教育で教えて欲しかった。
かつて教育の一番基本であった「読み書きそろばん」がデジタル技術の発展で疎かにされるのは如何なものか。筆算も足し算や掛け算はともかく、割り算は心もとない人が多いのではないか。平方根の計算などもう全く自信がない。
そう言えば去年の秋、某大学のイベントで投光器の熱でおが屑が燃え少年が死亡する事故があった。大学生にもなってあの状態で火災を予想できなかったのには唖然とした。白熱灯を交換したり、五右衛門風呂を直火で沸かしたり、火や熱を実感できる機会がなくなったのはオール電化技術の一つの弊害なのだろう。
「読み書きそろばん火の始末」これはいつまでも教育の基本にあるべきだと強く思う。

2017年1月17日火曜日

This is a pen

This is a pen. を正確に日本語に訳すことが出来るか。そんなの簡単だ、「これはペンです」だろう、と思われた貴方、では「これはペンだ」や「これはペンよ」ではいけないのだろうか。「これはペンです」なら言う側と聞く側の立場が対等か、いくらか後者の方が高い印象があり、「これはペンだ」だとその逆の印象を持つ。このように日本語では情報を発信する側と受信する側の関係が表現に影響し、どうしてもその立場の関係を排除した言い方が出来ない。逆に少ない言葉の中に両者の関係を暗示できる優れた側面があるとも言えるのだが。
トランプ大統領の会見の様子を報じる新聞を読んで改めてそれを感じた。CNNの記者とのやりとりを再現した記事はこのように書かれている。
トランプ氏「お前じゃない」記者「質問する機会をいただけないでしょうか」トランプ氏「お前の会社は最悪だ」記者「我が社を批判するなら、質問する機会を下さい」トランプ氏「静かにしろ」記者「次期大統領、どうか」トランプ氏「彼が質問している。無礼な態度を取るな」云々
トランプ氏を非道な悪役にして報道関係者をそれと対決する正義の味方として訳すと上記の表現になるのだろう。もし逆の価値観で訳したらどうか
トランプ氏「君ではありません」記者「質問する機会をくれと言ってるんだ」トランプ氏「君の会社は最悪です」記者「我が社を批判するなら、質問させろ」トランプ氏「静かにして下さい」記者「次期大統領、おい」トランプ氏「彼が質問しています。無礼な態度はいけませんよ」云々
英語でも敬語に相当するものはあって、出来るだけ長い文章を使うのだそうだが、あの緊迫した場面でその余裕はなかったろう。マスコミの誘導的意訳にごまかされないためにも原語を意識してニュースに接したい。

2017年1月10日火曜日

努力

あけましておめでとうございます。皆様良い年をお迎えになった事でしょう。本年も当新聞ならびに当コラムをご愛読賜りますようお願い申し上げます。
曜日の関係で遅いスタートになった。正月はのんびり御屠蘇を頂きながら実業団と大学の駅伝を楽しんだ。学生時代に名を馳せた選手が実業団に入って必ずしも期待された結果を残せないのはどうしてだろう。東洋大学では圧倒的に強かった設楽兄弟もぱっとしなかったし、山の神と言われた今井選手も神野選手も期待された程ではなかった。二代目山の神、柏原選手にいたっては出場メンバーに選ばれることすらなかった。努力を怠ったわけではあるまいが、むしろ練習の量が多すぎて故障でもしたのではないか。
一方で以前はあまり名前を聞かなかった旭化成の市田兄弟が眼を見張る走りを見せた。それを見て思い出したのはアメリカのバスケット界のスーパースターであるマイケル・ジョーダン選手だ。彼は大学を卒業する時点ではこのままバスケットを続けるか、それとも一般の会社に就職するか迷うような、そんな選手だったそうだ。その人があのような素晴らしい成績を残す。プロ野球の野村克也選手も同じで、テスト生として入った一年目の成績は11打数0安打5三振だった。それが後には三冠王を取る選手になる。
将来を嘱望された才能豊かな人が努力の甲斐なく埋もれて行く例も沢山ある。巨人にドラフト一位で入った島野投手はマスコットキャラクターのぬいぐるみの中で野球人生を終えた。
その違いが何なのか、運なのか環境なのか神様の気まぐれなのか分からないが、はっきりしているのは努力は成功のための必要条件であって十分条件ではないということだ。ということで努力を忘れるなを今年のモットーとしたいと思います。