2020年8月25日火曜日

王位戦

 

藤井新王位が最年少二冠を達成した王位戦七番勝負は四局全てをネットの動画サイトで実況中継を見た。将棋や囲碁の実況中継はサッカーやテニスのそれと違って、局面が動くのが実に遅く、ややもすれば退屈してしまう。なにせ一手指すのに数十分考えるのは当たり前、一時間以上二時間近く考える事もあるのだから間を持たすためにスタッフの苦労も大変なものだろうし、実況じゃなくても後日ダイジェストでポイントだけを見れば良いと思う事もある。

しかし藤井二冠の対局の実況だけは一味違う。彼が指した手に対する解説者の反応を見るのが面白いからだ。驚いたり、呆れたり、最後は感動してうなったり。第二局の解説者、郷田九段の反応はどう表現したら良いのだろう。木村王位の攻めが決まったかに見える中盤戦、藤井七段(当時)が苦し紛れの様に打った香車に対して郷田九段は「こんな手で幸せになった人はいませんね」と言った。呆れているようでもあり、悪手であると批判しているようにも見えた。しかし局面が進んで木村優位は明らかなはずなのに、郷田九段にも明確に勝ちになる手順が見つからなかった。最後は「不思議ですねえ」とつぶやくしかなかった。

第四局の封じ手も面白かった。飛車を逃げる一手に見える局面、解説の橋本八段は「飛車を逃げる手を封じ手にするでしょう」と言うが藤井棋聖はなかなか封じない。長時間考え込む藤井棋聖の姿に「え、飛車を逃げない手があるんですか」と驚いたように叫んだ。本当に叫ぶような言い方だった。そして翌日、封じ手は案の定8七同飛車成、長く語り継がれる手になるだろう。

藤井効果とでも言おうか、師匠の杉本八段も調子を上げ、NHK杯トーナメントでは強豪の三浦・佐藤両九段を連破した。藤井将棋、恐るべし。

2020年8月18日火曜日

出会い

 人生とは出会いである、と誰かが言ったかどうか知らないが、兎も角、毎日出会いを求めて生きている、そんな気がする。人との出会いは勿論の事、本との出会い、映画との出会い、絵画や音楽、芸術との出会い、散歩途中の小さな発見との出会い、等々。

前々回にご紹介した「ドイツにヒトラーがいたとき」篠原正瑛著との出会いも記録に残しておきたい出来事だった。きっかけは「ひろしま」という映画を見た事だ。原爆の悲劇を描いた作品で、1953年製作とあるからまだ戦争の記憶が生々しい頃のものだ。始まる前にオリバー・ストーンの推薦の言葉があって、彼は「とてもポエティックだ」と言うがしかし当然ながらとても悲惨な描写もあり、それは如何なものかと思うし、子供に見せるにしても一定の年齢に達してからにしたいと思う内容だった。

その中で高校の授業である生徒が「僕らはごめんだ(東西ドイツの青年からの手紙)」という本を読み上げるシーンがあった。アメリカが原爆で何十万もの無辜の市民を殺害したことに抗議する文だ。目を凝らして良く見ると著者は篠原正瑛とある。映画を見終えてから早速ネットで検索をかけてみた。

すると「僕らはごめんだ」は見つからなかったが、他に県立図書館に蔵書があったのが「ドイツにヒトラーがいたとき」だった。早速借りて読み始め、これは手元に置いておきたい本だとオンラインショップで買い求めた。

著者は上智大学でカント哲学を学ぶ学徒で、丁度ヒトラー政権の元、軍靴の響きが高くなる頃にドイツへ留学した。下宿に決めた家がたまたま何年か前東條英機が少佐の頃下宿した家で、そこの奥さんは東條の気さくな人柄に魅せられてどうしても日本人に下宿して貰いたいと願ったらしい。続きはまた別の機会に。

2020年8月11日火曜日

熱帯夜

 

長い梅雨が明けたと思ったらすぐに猛暑がやって来た。相変わらず外に出る気にもなれず、出来ればクーラーの助けを借りたくないとつまらぬ意地を張っている私も白旗を上げる毎日だ。特に夜の寝苦しさには参る。クーラーのない野生の動物はどうしているのだろうか。

少なくとも五十年前は眠るのにクーラーの助けは要らなかった。大学の講義の最中に先生が「ロケットを一発だけでいいからやめてくれたら全部の教室に冷房が入るのに」と愚痴をこぼしていたのを思い出す。しょっちゅう打ち上げに失敗していたロケットへの揶揄も感じた。小学生の頃はと言えば扇風機すらなかった。六畳の部屋に蚊帳を吊って家族四人で寝ていたが、それでも暑くて眠れなかった記憶はない。逆に冬に足が冷えて眠れなかったという記憶はあるのに。

夏の暑さは五十年前より明らかに身に堪える。息子は私以上にクーラーを点けたがるから、加齢の所為でもなさそうだ。地球温暖化の議論はホッケースティック曲線に代表されるように、データの取り方に作為を感じてすぐに同調する気にはなれないが、暑さがきつくなっているのは認めざるを得ない。

思えば五十年前はたまに自動車に乗せてもらってもでこぼこ道が沢山あってお尻が痛くて大変だった。あれから人間たちは街中の地面と言う地面をアスファルトとコンクリートで塗り固め、樹木を伐採し、その上まわりの家が一斉に外に向けて暖房のスイッチを入れるのだから熱帯夜の日数が増えるのも無理はない。地球全体の温暖化というより、街中の局所的問題と考えた方が良さそうだ。野生の猿や猪や鹿たちはおそらく山の中の自然に囲まれたねぐらで、地面からの水蒸気や樹木の呼気などの打水効果でクーラーの助けなど借りなくても安眠しているのだろう。

2020年8月4日火曜日

 コロナと長梅雨のダブルパンチで外出がままならず、家で過ごす時間がやたらに長い。もっとも本を読んだり映画を見たりお酒を飲んだりと、やる事は一杯あるので「今はぐっと我慢して家で過ごしましょう」と自粛を呼びかける言葉はピンと来ない。家で過ごす事はぐっと我慢する事なのか。それは本来素晴らしい事の筈で、そのチャンスを活かさないのは勿体ない事だ。(と、ちょっと強がりを言ってみる。)

そこで今日は最近読んだ本の中から面白かったものをご紹介したい。

「アンダーグラウンド」「約束された場所で」いずれも村上春樹の著書で、オウム真理教関連のインタビューをまとめたものだ。前者は地下鉄サリン事件の被害者及び遺族へ、後者は元信者へ。中で元信者の次の言葉が印象に残った。「何を言ったところで、それがマスコミに出る時にはぜんぜん違う文章になっています。こちらの真意を伝えてくれるメディアなんてひとつもありません。」

面白い事に同じような発言が「アンダーグラウンド」にもあった。つまり事件の被害者達も加害者側と同じようにマスコミに不信と不満を抱いている。自分らの言う事をまともに取り上げてくれない、と。マスコミに出てくる情報はかなりのバイアスがかかったものであると思った方が良さそうだ。

オウム真理教事件への疑問はナチスへの疑問と軌を一にする。どうして一見優秀な人達が騙され悪事の片棒を担いだか。神奈川県の津久井やまゆり園では障碍者が多数殺害されたが、同じような事をナチスは集団で行った。しかも優生学の名の元に高名な科学者達が協力して。その疑問解明の一助になればと「ドイツにヒトラーがいたとき」篠原正瑛著を読んだ。とても面白かった。内容紹介したいが紙面が尽きた。またの機会に。

2020年7月28日火曜日

ウィズコロナ


「ウィズコロナ」という言葉をよく聞く。「コロナと共に」つまり「回りにコロナウィルスがいる前提で生活しよう」という趣旨なら感染者が出るのは当たり前で、新規感染者の増加に大騒ぎするのは如何なものか。感染、発症、治癒の各フェーズを冷静に観察すべきではないか。それとも徹底的にウィルスの封じ込めを狙っているように見えるのは、口では「ウィズコロナ」と言いながら本音では「アンチコロナ」を目指しているからか。ウィズかアンチか、アメリカの小学校での出来事を思い出す。
アメリカで一年暮らす事になり、子供達の現地の小学校への入学手続きの際、あらかたの登録が終わって、先方が盛んに気にする事があった。ツベルクリンテストは大丈夫か、という事だった。当時苦労してようやく陽転した頃だったので、胸を張って大丈夫と答えた。ところが学校が始まって数週間後堰を切ったような電話が掛かってきた。あれだけ確認したのにお宅の子供さんはツ反が陽性ではないか、というのだ。その時知ったのは日本ではツ反は結核菌に対する免疫の有無を調べるものだが、アメリカでは結核菌の有無を調べるもので陰性でなければならないという事だ。いわば結核菌に対し、日本はウィズの戦略を取り、アメリカはアンチの戦略を取っていたのだった。
回りに結核菌がいない事を前提にしている社会ではツ反に陽性の人、つまり保菌者かも知れない人は隔離される。私の子供達も何本か注射を打ってツ反が陰性になるまで学校に来てはいけないと言われた。日本のBCGは優秀で決して他人に結核を移す心配はないという医者のお墨付きを貰って無事通学できるようになった時は胸をなでおろした。
コロナに対しても優秀なワクチンが開発されれば良いが、抗体があっても免疫があるとは限らないなんて報道が気に掛かる。

2020年7月21日火曜日

記者会見


藤井新棋聖の誕生は誠に素晴らしい事だった。渡辺三冠を下しての結果だから文句のつけようがない。コロナ禍で対局が延期されていたが、新記録に間に合って良かった。ただ局後に行われた記者会見には強い違和感を禁じ得なかった。
対局当日夜の記者会見、主催者や居並ぶ記者達の中に本人の置かれた状況をおもんばかる人はいなかったのだろうか。あの対局の解説者だった久保九段は言っていた。「対局の翌日は何も予定を入れないようにしています。対局で疲れ切って何も出来ないからです。」それ程対局は疲れる。しかもその週の月曜と火曜は北海道で二日制の対局をこなし、一日の移動日を入れて大阪での対局だった。家にも帰っていないし、家庭料理も食べていないのだろう。本当なら対局後すぐに家に帰ってお母さんの手作り料理で一杯、いやまだお酒はいけないが、ともかく体と精神を休めたいところだったはずだ。
それでも藤井新棋聖の態度はだれよりも大人だった。カメラマンからの右を向け、左を向け、花束をもっと上げろ、などの注文付きの長時間の写真撮影に素直に応じ、入れ替わり立ち替わり出てくるまるで芸能界のゴシップでも扱うかのようなノリの質問にも丁寧に応じていた。
その様子を見てテニスの試合後の勝利者に対するオンコートインタビューを思い出した。質問者はテニスを良く知っている元選手などで時間も十分程度と手短に行われ、カメラマンは自ら動いて良いアングルを探す。事情を良く知っている人からの的を得た質問に、疲れているはずの選手も応対を楽しんでいるようだ。将棋でも例えば世事に明るい故米長邦雄九段とか故芹沢博文九段などが代表して会見すれば面白かっだだろう。
それにしても記者達は質問の内容で自分の知的レベルが試されているという自覚を持つべきだと思う。

2020年7月14日火曜日


連日の雨、テニスは中止になるし、洗濯もままならない。しかしそんな事くらいでこぼしていたのでは被災地の人達に申し訳ない。洪水で家が流されたり、家の中が泥だらけになったり、ましてや関係者に死者が出たらどれほど悲しいだろう。悲しさを通り越して怒りを感じたり、明日からの生活再建を思って自暴自棄になったりしそうだ。
幸い、七十年近く生きて来て、大きな災害に遭った事がない。地震で家が潰れたり、火災で家財一式焼けてしまったり、妙な犯罪事件や大きな事故に巻き込まれたり、そんな経験がない事はなんと幸せな事かと思う。
唯一の記憶は小学四年の時、家が床上浸水した事だ。今と同じ、梅雨の終わりで丁度夏休みに入る頃だった。部屋の中に櫓を組んでその上に畳を乗せ水から守った後、父が私を抱っこして避難させようとした時、外は大人の太ももまで水が来ていた。妹と二人は親戚の家に預けられ、両親は屋根裏に布団を敷くだけの空間を作ってしばらくそこで暮らした。当時は避難所とか公的支援はあまりなかったのかも知れない。夏休みの後半には家に帰る事が出来たように思う。と言うのは家で聴いた雨の音を今でも鮮明に覚えているからだ。夕立が屋根を打つ音を聴くとすぐに洪水のシーンが思い出されて恐怖で小さな胸が震えた。今度の洪水でも同じようなトラウマを抱えた小学生が熊本にも岐阜にも沢山いるのではないか。
日本では水を司る神として竜神が各地で祀られてきた。それが仏教の八大龍王と結びつき、雨乞いの対象となったとされる。空海が京都の神泉苑で雨乞いをした時も龍王が現れ雨を降らせたと伝わる。だが、今回はしばらく雨はいい。金槐和歌集にある源実朝の願いを一緒に念じたい。
 時により過ぐれば民のなげき也 八大龍王雨やめたまへ