五月の連休辺りから咲き始め、その名の通り長い間咲き続ける。
その鮮やかな赤味は夏の青い空と良く似合う。共演しているのか、競い合っているのか。
いずれにしろ、その対比は生命の力強さを象徴しているかのようである。
今日の空は残念ながら「雲一つない」という訳にはいかなかった。
五月の連休辺りから咲き始め、その名の通り長い間咲き続ける。
その鮮やかな赤味は夏の青い空と良く似合う。共演しているのか、競い合っているのか。
いずれにしろ、その対比は生命の力強さを象徴しているかのようである。
今日の空は残念ながら「雲一つない」という訳にはいかなかった。
パラリンピックを見るといつも自分の努力の足りなさを痛感させられる。
何年前だったか、冬季のパラリンピックだった。脚が一本しかない人が急斜面をスキーで滑り降りていく。両手に持ったスティックを巧みに使い、左右の体重移動でバランスを取りながら滑る姿は勇壮だった。私なんか脚が二本もあってもまともに滑れないというのに。
そして今回は山田美幸さん。生まれつき両手がなく、両脚も不完全でしかも不揃いだ。プールへの出入りも一人ではままならないだろうと思うが、水に入れば両脚のキックだけで背面で泳ぐ。左右不揃いで進行方向の制御が難しかろうに、キックの強さや頻度を調整したり、体の筋肉を使って直進するコツを掴んだのだと思う。銀メダルを取って、14歳の彼女が爽やかな笑顔で言った言葉に胸が熱くなった。
「次に何をすべきかを常に考え、努力を続けていきたいと思います。」
2019年つまり彼女がまだ12歳の時、お父さんがガンで亡くなったそうだ。その時も彼女は何をすべきかを考え、努力を続けたのだろう。
努力を続けているのは彼女だけでない。出場した全ての選手が同じような事を肝に銘じている筈だ。そう思うと、上位三人だけに授与されるメダルに拘るのは如何なものか。ニュース速報や号外とメダリストだけがクローズアップして報道される。確かに彼等におめでとうは言いたいが、惜しくも三位以内に入れなかった人だって十分に称賛に値する。その努力の大きさからすればメダルの有無は小さな事だ。
考えてみれば我々の人生もパラリンピックみたいなものだ。幸い手も脚も二本づつあり視力も聴力もあるが、神様から見れば洞察力もなく、決断力もなく、ないないづくしの不十分な能力で人生というレースを戦っている。メダルは取れなくてもいい、努力した自分に納得できれば。
アフガニスタンが騒々しい。タリバンは悪だと教えられて来たが、民衆の支持がなければあんなに簡単に全土の制圧は出来ないだろうに。それともタリバンの悪さ以上に、政権の腐敗がひどかったのか。
大統領は国外へ逃亡した。一説には大量の財貨を持って逃げたとか。本人は後に着の身着のまま逃げたと釈明しているがどちらが本当か。政権幹部の自宅だったとされる部屋で豪華な猫脚のソファーに機関銃を抱えた髭面の兵士達が座っている画像が流れた。そのアンバランスもさることながら、その部屋を埋め尽くすベルサイユ宮殿かと見紛う贅沢な調度品は政権の腐敗ぶりを雄弁に物語っていた。アメリカからの援助資金が貧困にあえぐ国民をよそにこんな所に使われていたとは。ハノイに残るホー・チミンの執務室は質素で飾り気がなく整然としていたのに。
それにしてもアメリカがその国に民主主義を定着させようとして擁立する政権はどうしていつもこう腐敗するのだろう。南ベトナムのゴ・ジン・ジェム政権もひどかった。焼身自殺する仏教徒を人間バーベキューだと言い放つ無神経さを子供ながらに覚えている。韓国の李承晩だって、民衆から追われるようにして国外逃亡している。ゴ・ジン・ジェムも李承晩もキリスト教徒だったという理由で政権に据えられたそうだが、それにしてももっとまともな人がいなかったのか。
翻って日本はどうだろう。第二次大戦が終わって、アメリカに協力する人は戦犯としての訴追を免れたという。そうして作られた日本の政権は腐敗していなかったのか。それとも腐敗を見抜けない程日本のマスコミや国民の眼が曇っていたのか。日本だけが特別だったとしたらその背景は何なのか。アフガニスタンの今後がどうなるかという心配以上に気になって仕方がない。
白鵬は勝った後土俵上でガッツポーズを取っては顰蹙を買っている。何度注意されても直らないのは本人が「勝って喜びを表現するのが何故悪いのか」と思っているからだろう。
そもそもガッツポーズとは何か。それが和製英語らしいと言う予測は立つが、ネットには「喜びのポーズの1つ。 拳を握り、両手もしくは片手を掲げる事で表現され、スポーツなどで勝利した時や、良い成績を残した時によく見られる。」とあった。なるほどと思いながら大事な事が抜けているような気がした。
それは手首と肘の位置関係だ。ガッツポーズは、コブシを高く突き上げる時にしろ、腰のあたりで肘を曲げて小さく「よし!」と言う時にしろ、常に手首は肘より上にある。この手首が肘より上にある事がガッツポーズの必要条件だと思うのだ。
二十年前、貴乃花が右ひざの故障を押して千秋楽に出場し、武蔵丸を投げ飛ばした後、鬼の形相を見せた。両手に力を入れて「どうだ!」とでも言わんばかりのあの動作をガッツポーズと思った人はいない。それは手首が肘より下にあったからではないか。
ボクシングのファイティングポーズを見れば良く分かるように、手首を肘より上にするのは攻撃の姿勢である。バトミントンではサーブを打つ際、手首は肘より下にないといけないというルールがある。サーブを攻撃的に使う事を禁止しているのだ。
実際に自分で行って自分の眼で確認した訳ではない事を書くのは若干憚られるが、ネットの記事によると今成田でちょっとした異変が起きていると言う。いつもなら夏休みでごった返している筈の出発ロビーが閑散としているというのは十分想像できるが、一か所だけ行列が出来ている場所があるらしい。危険な東京から逃げ出そうとする中国人の帰国ラッシュが起きているのだとか。北京や天津は日本からの直行便を拒否していて、大連へ飛んでそこで三週間の隔離生活をするのだそうだが、そういう不便をおしても中国へ帰りたいのだ。
ネットには今の日本のコロナ禍を表現するのに「Sauve qui peut」という言葉も出てきた。戦線が崩壊したり、船が沈没したりするときに船長や指揮官が出す宣言で、フランス語で「勝手に逃げろ」「生き延びられる者は生き延びよ」という意味らしい。もう事態は制御不能だから、以後一切指示に従う必要はない、各自生きるか死ぬかは自己責任だと言うのだ。
確かに「重症患者以外は自宅療養で」と言われると、そう思いたくもなる。一年半前、コロナ禍が始まった頃、病床の逼迫に伴い無症状の患者が病院からホテルに移動するシーンを見て、「こんな元気な人が病院に入る必要はないよなあ」と思ったものだったが、それとは訳が違う。あの時はウィルスの拡散を防ぐため、感染者の隔離という最低限の措置を行ったが、今回はそれすらもしないと言うのか。
菅首相は就任の際「自助、共助、公助」という言葉を使った。コロナも自助で何とかしろと言う事か。感染予防対策は当然の事として、いくら注意しても感染を完全に防ぐのが難しい上は、感染しても平気な体を作るしかない。栄養を取って適度に運動し、運動の合間には冗談を言って笑い合い、免疫を高めるしかなさそうだ。
菅首相は何のために記者会見をするのだろう。自分の政策の正当性を訴えるため?政策実現に向け国民に協力を求めるため?まさか支持率を下げるためではあるまいが。
実際の会見を見ると、苦しい言い訳に終始したり、記者の質問に真正面から答えようとしなかっり、何か揚げ足を取られるのを恐れているのか、弱みを見せない事に汲々としている感じがする。そんな会見は見ても面白くないから途中でチャンネルを変えてしまう。
五輪開催についての会見もそうだった。あれでは国民の心が一つにならない。例えばこんな風に言ったらどうだったか。
「尾身先生も仰るようにパンデミックの中で五輪を開催するのは普通では考えられない事かも知れない。しかし我国は八年前世界に開催を約束した。幸い国内の感染者数は世界各国から比べれば少なくて済んでいる。コロナ禍での五輪開催という難題を解決する事は日本という国の底力を世界に見せるチャンスでもあると思う。勿論国民の健康安全が脅かされるような事態は避けなければならない。政府はそのために全力を尽くす。IOCにもその事を理解して貰い、海外からの選手団や関係者と国民の接触は最小限に抑える積りだ。IOC役員も来日人数は最低限に抑え、宿泊も都内のホテルではなく、選手と一緒に選手村にする事を承諾して貰った。水際対策も最善を尽くす。政府は安心安全な大会実現に向けて全力を尽くす積りだ。国民皆様からのご意見も素直に取り入れていく。だからどうか五輪開催と成功にご協力頂きたい。日本国民の知恵と規律と実行力を世界に見せようではありませんか。」
そんな風に言ってそれを態度で示してくれたら「よっしゃ、一丁やったるか!」という気持ちにもなろうものを。
菅さん、国民を敵と思ってる訳じゃないですよね?