2015年9月15日火曜日

降伏文書

第二次大戦が終わって七十年。中国では所謂「抗日勝利記念」として大規模な軍事パレードが行われた。歴史に学べと声高に主張している国だからまさか間違いはなかろうが、かつて日本が歩んだ誤った道を繰り返すことないように、過去の歴史に学び以って他山の石として欲しいものである。
日本の外務省外交史料館では戦後七十年企画として降伏文書原本の特別展示が行われた。原本を見るといろいろ面白い。
まず、調印の日時が分単位で書かれている。「大日本帝国天皇陛下及び日本国政府の命に依り、且其の名に於いて」として重光葵がサインをしたのは九月二日午前九時四分とある。当然九月二日までは印刷してあるが九時四分の部分は0904と手書きで書いてあった。ちなみにこれを諸国家のために受諾するとして聯合国最高司令官ダグラス・マッカーサーが署名したのは九時八分だった。
さて、ここで言う諸国家とは具体的にどこか。それを全て正確に挙げられる人はあまりいないのではないだろうか。またその順番にも重要な意味があるようだ。
マッカーサーの次に署名してるのは当然ながら合衆国を代表してニミッツ。あの「出て来いニミッツ、マッカーサー」のニミッツだ。次が中華民国の代表徐永昌。以下聯合王国(イギリス)、ソ連、オーストラリア、カナダ、フランス、オランダ、ニュージーランドと続く。
ここで面白いのが、何故かカナダの代表が署名する欄を間違えてしまったようなのだ。本来カナダ代表が署名すべき場所が空白になっていて、以下順送りする形で欄を説明する添え字が手書きで修正してある。カナダとフランスを入れ替えて以下はそのまま記入しても良かっただろうに、どうしてもこの順番(恐らく勝利に貢献した順番)を変えることはできなかったらしい。

2015年9月8日火曜日

エンブレム?

佐野氏の作品をめぐっての醜聞は海外でも話題になっているようだ。日本人として恥ずかしい限りだが、海外メディアの報じるところを見るといずれもが「オリンピックロゴ」という言い方をしている。エンブレムなどと勿体をつけた言い方をしているのは日本だけなのだろうか。
ともかく、今回の騒動では透明性が問題だとか責任の所在が問題だ、などとの議論があるが本当にそうだろうか。今回の問題の本質は要するにデザイナーに能力と倫理感が欠落していた事ではないか。そのどちらでもあればこれほど大きな騒動にはならなかったのではないかと思われる。
倫理感の欠如を示すのは他者のコピーライトが明記してある写真を無断借用した事だ。こういう場合に使うべきはパブリック・ドメイン(公有と訳されるようだ)と呼ばれる著作権フリーの素材のはずで、どうしてもあの写真が使いたかったなら、せめてコピーライトを明示して「内輪の審査段階だからこの写真を使いますが公にする際には著作権者に了解を取ります。」などと断りを入れるべきだったろう。デザイナーとして一番神経を使うべき局面だったはずなのに。
能力の欠如を思うのは盗作を疑われる似た作品が沢山ある中、いずれも原デザインを超える創意が見えない事だ。太田市美術館図書館のロゴマークなど、原デザインは円の大きさと直線の長さがバランス良くデザインされているのに佐野作品はどうにもアンバランスだ。Bの文字などひどく窮屈そうで可哀相なくらい。

他の作品からインスピレーションを得たとして、自分なりの創意を加える能力がないといけない。極端な話、前回オリンピックの亀倉雄策の作品は考えようによっては完全な日の丸のパクリだが、誰もそれを批難しないのは作者の創意が強く感じられるからに他ならない。

2015年9月1日火曜日

世界陸上

世界陸上を見て感じたこと。
・肌の色を決めるDNAと運動能力を左右するDNAとは何か関係があるのだろうか。そう思わざるを得ないほど黒人選手の活躍が目立つし、混血に当たっての肌の色の優位性も不思議ではある。顔の骨格は白人的な遺伝子を受け継いだと思われる人でも肌の色は濃い。逆に顔の骨格が黒人的で肌が白い人はいないからここには何か遺伝の法則が働いているようだ。
・体格が成績に大きく影響するような競技は問題だ。柔道に体重別があるのなら走り高跳びは身長別にすべきだろう。それともバーの高さと身長の比を争うようにしたらどうか。背が低くても足腰の強靭な選手が賞賛を得る可能性を残すため、機会均等を保証するのは大事なことだと思う。
・十種競技の優勝者は100mの勝者やマラソンの勝者に劣らぬ賞賛を受けるべきではないだろうか。走る投げる飛ぶ、全ての運動に対応する体を作り上げなければならないのだから。そう言えばかつて楊伝広という「東洋の鉄人」と呼ばれた人がいた。私が小学生の頃、彼の伝記を読んで胸を躍らせたものだった。
・準決勝では後半流しながら走って977のタイムを出したガトリン選手が、決勝では懸命に全力を出しても980しか出せなかった。当たり前のように早く走る選手の裏にある努力や節制に思いを馳せた。
REUSという名のドイツ人選手がいて、これをアナウンサーは「レウス」と発音していた。どう考えても「ロイス」と発音すべきだろう。ドイツ語でEUをオイと発音するのは常識ではないか。全てをローマ字読みしている訳でもなさそうだし。EUROはドイツでは「オイロ」と言われているが、一般には「ユーロ」であって決して「エウロ」ではない。

2015年8月25日火曜日

夏のオリンピック

八月も下旬を迎えいくらか過ごしやすい日もあるが、まだ残暑は厳しい。廿五日は処暑、暦通り暑さがおさまればいいのだが。それにしても七月末から盆にかけては暑かった。この恐らく日本で一番暑い時期に五年後の東京オリンピックは行われるという。IOCは夏季五輪開催日を715日~831日までの間に設定することを大前提としており、東京の場合724日から89日までの予定とか。どうせならお盆をまたげば見る側には好都合だったろうに。
猛暑でのマラソンの実施にいろいろ懸念が出たり、工夫が提案されたりしているが、いっそのことマラソンは冬のオリンピックの競技種目にしたらどうだろう。福岡国際マラソンなど主要なマラソン大会は大概冬に行われる。そう言えばサッカーやラグビーなども天皇杯などメイン・イベントは冬に行われるから冬のオリンピックでもいいのではないか。なにも氷と雪に関連したものだけが冬のオリンピックでもあるまい。
過去のオリンピックの開催期間を調べていて意外な事を発見した。近代オリンピックが始まって最初の頃は数ヶ月に渡って行われていたという事だ。第一回のアテネはともかく、第二回パリ大会は520日から1028日まで、第三回セントルイス大会は71日から1123日まで、第四回ロンドン大会は427日から1031日まで、と言った具合だ。理由はよく分からないが、第二回のパリ大会は併行して行われた万博の余興の位置づけだったとか。オリンピックが現在のような権威を獲得するまでには紆余曲折があったに違いない。
「参加する事に意義がある」という標語は参加者が少なかったからではないか、アマチュアリズムはプロからは見向きもされなかったからではないか、などと邪推をしてしまうのである。

2015年8月18日火曜日

阿波踊り

阿波踊りは日本一の祭りと言っていいと思う。祇園祭にしろ東北の三大祭にしろ見るだけのものだ。岸和田のだんじり祭は何代も地元に住む人でないとだんじりを引かせて貰えないと、岸和田に新居を構えた友人から聞いた。その点阿波踊りは誰でも参加できそれなりに楽しめる。青い目の外人さんが見よう見真似でぎこちなく手足を動かしていたりする。平田の天神祭もちょっとでいいから一式飾りを製作する喜びに接する仕掛けを考えたらどうだろうか。
この夏徳島市内在住の先輩からお招きを頂き、阿波踊りを実体験する幸運に恵まれた。かつて所属した会社の企業連の一員となって、紺屋町演舞場を踊り歩いた。
営業所で浴衣に着替え白足袋を履いて腰から印籠をぶら下げ鉢巻を締めて出番を待つ。駐車場で営業所長から踊りの特訓を受けて阿波踊りが人間の阿呆を追及した文化芸能だと思った。
阿波踊りの基本動作はどうしたら人間を阿呆に見せることが出来るかという点から成り立っている。凛々しい丈夫ならば仁王立ちが似合うが阿波踊りではがに股でへっぴり腰に構えないといけない。脇を締めるのは相撲に限らず多くのスポーツの基本だし、何か大事をなそうとする時の比喩に使われたりするが、阿波踊りでは隙だらけに脇を開け両手を肩以上にして構える。しかもその姿勢から前に進むときは手足を右、左と同時に前に出す。これは時に映画などで精神に障害のある人を表現する為に用いられる動作だ。
こうして徹底的に阿呆を強いられた基本動作からしかし、卑屈さは微塵もなく、有名連の人達の踊る姿は伸びやかで楽しそうで崇高さすら感じさせる。阿波踊りのこの奥深さは一体何だろう。
阿呆である事はかくも素晴らしい事なのだと示して見せた大衆の知恵と生命力の偉大さにただ脱帽するだけだった。

2015年8月11日火曜日

スカルノ

先月下旬国士舘大学で「スカルノ国際共同研究発会式」という催しがあり縁あって参加した。インドネシアの初代大統領スカルノの業績研究を通してアジア近代史への理解を深めようというもので、当日はスカルノ大統領の御長男、その娘で現在インドネシアの国会議員であるプティ・グントゥール・スカルノさんなどが出席した。
第一部は大教室での講演会。国士舘大学の教授によるスカルノの業績紹介やプティさんによる記念講演などが行われた。スカルノの業績の第一は何と言ってもインドネシアの統一と独立なのだが、一九五五年のバンドン会議も忘れてはならない。周恩来やネルーなどアジアの指導者を集めた会議で、スカルノはそこに日本の代表も呼んだ。当時はまだ第二次大戦の記憶も生々しい時期。うっかり顔を出せば参加国から袋叩きにあうのではないかと、疑心暗鬼の日本政府は当時の経済企画庁長官高崎達之助を代表として送った。おっかなびっくりの高崎はしかし大歓迎を受ける。この時の周恩来との縁で高崎は日中国交回復に活躍することになる。
第二部はラウンジに場所を移して立食パーティ。プティさんは気さくな方で私とのツーショットにも気軽に応じてくれた。招待客が入れ替わりスピーチに立つ中で印象に残ったのはプティさんの同僚議員のスピーチで、もしスカルノがいなかったらカリマンタンはインドネシアになっていなかっただろうというもの。多民族が割拠する島嶼国家を一つにまとめるのは大変な事だったろう。
最後の締めくくりのスピーチでプティさんはジャスメランという言葉を紹介した。これは直接的には赤い背広という言葉だが、歴史を忘れないという意味が含まれるそうだ。プティさんは日本は歴史を忘れないで戦後復興を果たした、と言った。インドネシアの日本に対する敬愛を感じる言葉だった。

2015年8月4日火曜日

エンブレム

東京オリンピックのエンブレムが発表されて、その第一印象は「えぇ、何、これ。ひどい!」だった。もっともそう感じるのは私に美的センスがないからであって、審美眼のしっかりした人には優れたデザインに見えるのでしょうかね。
それにしても説明も何か変だった。いわく、東京のT、チームのT、明日を意味するトゥモローのTだそうだが、どうしてトゥモローだけわざわざ日本語で補足しないといけないのだろう。オリンピック、エンブレム、チーム、トゥモローとカナ文字を並べて、トゥモローだけが格別難しいというわけでもなかろうに。もし私の母が生きていたならどう言うか。オリンピックはかつての東京オリンピックを経験しているから問題ないだろうが、エンブレムは何の事か分からないと言うだろう。残りの二つはおそらく理解しただろう。
こうしてみると、トゥモローだけ日本語の補足があったのは、それが必要だったからではなく、エンブレムやチームはどう日本語にしてよいか分からなかったからではないかと勘繰りたくなる。
チームもいざ日本語にしようとすると結構難しいが、それは皆様のお楽しみにとっておくとして、エンブレムを英英辞典で引いてみると「会社やスポーツクラブなどの組織を代表する象徴として選ばれた意匠図案」という説明がある。いわば家紋のようなものだ。日本には家紋という優れたデザインの伝統があるのに、今回のエンブレムはなんと不格好か。招致活動の際に利用した桜の花びらが散りばめられたデザインの方がよほどましに見える。しかもそれは誰かの作品を盗作したのではないかとの疑いもあるという。盗んでまで利用したいデザインには見えないが。
はいはい、もちろんこれは私の審美眼の方にこそ問題があるのでしょうがね。