2016年10月18日火曜日

文学

NHKのラジオ番組にカルチャー・ラジオというのがある。歴史、芸術、文学、科学の四つの分野で週に一回三十分の講和が三ヶ月毎にテーマを変えて放送される。文学は木曜日だが何回か前にボブ・ディランが取り上げられた。その時は最初の二回ほど聞いてあまり面白くなかったので以後聞くのを辞めてしまったが、今から思えばもう少し辛抱して聞いておけば良かった。
十月から鴨長明がテーマになっているが先月まではマーク・トゥエインだった。これは面白かった。今回のボブ・ディランのノーベル賞受賞は人種差別撤廃運動への影響も受賞理由の一つのようだが、この分野ではマーク・トゥエインの書いたものの方が心に響く。興味ある話題があるのでご紹介しておく。
マーク・トゥエインの代表作の一つに「ハックルベリー・フィンの冒険」がある。主人公のハックは凶暴な父から逃れるために身を潜めている時、逃亡奴隷のジムと出会う。社会に背を向けるという共通の環境にある二人は友情を育みながら北部の自由州を目指して筏で川を北上する。だが、自由州が近づくにつれてハックは自責の念に捕らわれる。それは何と、ジムを告発しなければならないという思いだ。当時南部には逃亡奴隷をかくまったり援助することは罪だという法律があった。それを知っているハックは今ここでジムを当局に突き出さなければ自分が永遠に罪人の刻印を押されてしまうと悩むのだ。ハックのそうした心を察知したジムの態度がまた涙を誘う。
この作品には普段はこよなく親切でやさしく信心深いおばさんが、こと黒人に対しては冷酷無比な態度をとってしかもそれが正義であると思っているような場面もあるようだ。ある社会環境では世間的良識が必ずしも人間の善を反映しない。常に心すべきことだろう。

2016年10月11日火曜日

引越しのススメ

葛飾北斎は生涯で93回の引っ越しをしたそうだ。絵に熱中するあまり部屋の片付けなどに気が回らず、部屋が汚くなると引っ越しをしたとか言われるが、一方で一日三回も引っ越しした事があるとも言われるから真の理由はよく分からない。
私も最近引っ越しをして、これはなかなか頭の体操になるなと思っている次第。それまである一定の秩序の中で生活していたものが、全く異なる環境の中で別のルールに従って生きることになる。要するに簡単な言葉で言えば、物がどこに仕舞ってあるのかが今までの感覚とは違う場所になるので、それが脳を刺激するのだ。
親が生前に買い溜めてた石鹸があるはずなのに見つからない。以前は洗面台の横の洗濯機の上の棚にあった。引っ越し先には洗濯機の上に棚がないから別の場所にそれなりの理由で仕舞ったはずが、その理由が思い出せない。異なるルールに柔軟に対応する能力を試されているようだ。また探していたものが見つかった時の喜びもおそらく大いに頭脳を若返らせてくれるだろう。
家の引っ越しも随分と頭の体操になるが、もう一つのお勧めがスマホの引っ越し。
普通ビジネス界では長い付き合いを大切にするのが常識だが、スマホの世界では新たに乗り換えると有利な条件になるようになっている。番号やメールアドレスが変わってしまうのを恐れる人が多いから、それに胡座をかいた商売のように見える。それに乗ってしまうのが悔しいから敢えてスマホも引っ越しする事にした。機器自体が新しくなって画面が大きくなってデータ通信量が倍になってなお月々の支払は少なくなる。ただこれも従来と異なるルールを強いられる。操作方法が微妙に違うのでそれに慣れるのが大変だ。
家もスマホも引っ越しでアタフタする今日この頃である。

2016年10月4日火曜日

同一労働同一賃金

「同一労働同一賃金」の文字を報道で見るたび若干の違和感を覚える。元々この言葉は男女差別の撤廃を目指して発せられたものだった。同じ労働をして同じ結果を出すのに女性だというだけの理由で賃金が低く抑えられているのはおかしい、というのは誠に全うな意見だ。だが昨今の使われ方を見ると正規・非正規の格差を問題にする場面が多い。これは如何なものか。経営工学的見地からの愚見を述べてみたい。
そもそも「非正規」とは何か。正規社員と外見上の業務形態が特別違う訳ではないのに不当に不利な条件で採用されている事だとすると、それは理論上あってはならない事で議論の俎上に上らない。ここでは業務量に応じて正規社員の能力を補完するために期間限定で採用される人を指すことにしよう。
経営工学の一つのテーマに能力設定がある。例えば生産設備の能力をどう設定するか。需要の大きさに応じて決めるわけだが、問題は変動する需要への対応である。設備能力が小さすぎれば注文に応じきれず、需要のピークに合わせれば多くの場合設備が遊んでしまう。通常はピークの八割程度の能力を用意し最盛期には外部の支援を仰ぐ事にする。そして外部委託する場合のコストは内作するより高いのが普通だ。
さて、人間の神聖なる労働力を生産機械設備と比較するなんてけしからん、とお叱りを受けるかも知れないが、非正規労働は上記の需要のピーク対応と考えるのが至当ではないか。だとすれば非正規労働の時間単価は正規労働の時間単価より高くて然るべきだというのが私の意見なのである。

そもそも働き方の選択肢を提示するに当たり、一方は安定しているが単価は安い、一方は単価は高いが不安定、というトレードオフがない限り検討の余地もないではないか。

2016年9月27日火曜日

メダル

オリンピック、パラリンピックが終わって各国の獲得メダル数を新聞で見てあるお遊びを思いついた。各国のメダル獲得数の偏りを数値化するためにジニ係数を計算してみようという事だ。
ジニ係数とは所得の偏りを表現するために用いられる指標で、完全に平等な社会はゼロ、一人に富が集中しているという極端な場合を1として、数が大きいほど格差が大きいことを示す。一般には0.3から0.4程度が適度な競争と格差のある社会とされ、0.4を越えると社会不安を引き起こす警戒ライン、0.5以上となると暴動の恐れのある危険ラインとされる。
オリンピックには全部で二百五の国(と地域)が参加し(難民選手団を入れると二百六)、内一つでもメダルを取った国は八十七、百十九の国は一つのメダルも取れなかった。パラリンピックにおいてもほぼ同様の傾向が見られた。いわば半数以上の人が所得ゼロ、トップの人に富の10%が集中するようなモデルになる訳で、実際にジニ係数を計算したら0.85以上になった。大変な偏りだ。
ついでの世界各国のGDPのデータを元にジニ係数を計算したらほぼ同様の値となった。GDPの大きさと獲得メダル数にはかなり強い相関がある。変わったところではインドがGDPでは世界七位なのに、獲得メダル数は五十位以下なのが目立つ。旧共産圏やアフリカ諸国がGDPの割にはメダル数が多く、中国以外のアジアはGDPの割にはメダルが少ない。
それにしてもパラリンピックにおける中国のメダル獲得数の多さには驚いた。彼の国が障害を持つ人達に優しい社会であるという印象はないのだが。オリンピックはともかく、もしパラリンピックが国威発揚のために利用されているとしたらとんだ本末転倒というべきだろう。

2016年9月20日火曜日

車窓

エジンバラからロンドンまでグレートブリテン島の半分を縦断して車窓を眺めた印象を記す。
地図を見ても分かる通りイギリスには左程高い山はない。車窓からの風景は延々となだらかな丘陵が続いており、そのほとんどが牧草地だ。ごく稀にトウモロコシ畑や麦畑を見たがほとんどは牧草地に羊や牛が放し飼いされている。
日本ならどうだろうか。遠くに高い山が見えるが、手前の景色は住宅地を除けば青々とした水田が大部分だとの印象を持つだろう。
牧草地や畑と水田の違いは何か。水田は水を張るから平らにならさないといけない、という点が一番の違いだろう。人間が農耕を始める前の大地はおそらく平らではなく、今のイギリスの風景に近かったはずだ。日本人は長い時間を掛けて大地を平らにならし、水を張って稲を栽培できるように改善したのだ。古代の日本にタイムスリップしてバス旅行をしたら、小高い丘や藪が散在する中ところどころに水田があるという感じだったのではないか。奈良時代の三世一身の法や墾田永年私財法がなければひょっとしたらその風景がそのまま残ったかも知れないのだ。
道路の制限速度も面白かった。高速道路は70、田舎の町の住宅街は「Slow down 30」とあった。日本と同じくらいだと思ってはいけない。イギリスの時速はマイル単位で、キロメートルにするためには1.6倍しないといけないから高速は110km、住宅街は50km程度になる。
日本は概して制限が厳しい。その理由を理解したのは冬の北陸をドライブした時だった。横殴りの雪に視界が開けず制限速度内で走るのが精一杯だった。日本の制限速度は悪天候を想定して決められており、好天で見通しが良い時には物足りなくなってしまうのだと思った。イギリス人はこの点どう考えるのだろうか。

2016年9月13日火曜日

イングリッシュ

「マイ・フェア・レディ」という映画がある。ロンドンの下町の花売り娘を上流階級の社交界に出しても恥ずかしくない淑女に変身させようという言語学者の話だ。オードリ・ヘップバーンの演じるその娘は下町の訛りがあって、「エイ」と発音すべき音を「アイ」と言う。例えばスパイン(スペイン)、ライン(レイン:雨)、プライン(プレイン:草原)などで、「スペインでは草原に雨が降る」という言葉を何度も何度も繰り返し正しく発音する訓練を課せられる。
オーストラリアはイギリスの流刑地としての過去を持っているせいか、オーストラリア人の英語には上記と似た訛りがある。会社の英語教室でオーストラリア人が講師になって最初の講義で「訛りがあるかも知れませんがごめんなさい」というので随分謙虚な人だなあと思ったが、実際講義が始まると閉口した。盛んに「トゥダイ」と言う。「To die」にしか聞こえないので意味が分からなかったが次第に「Today」である事が分かった。
こうした訛りはしかし、英語の本場のイギリスではむしろ主流のようで、BBCのテレビを見ていても沢山耳にした。「オリンピックgame」は「ガイム」、「great」は「グライト」、「amazing」は「アマイジング」などなど。私が親しんでいる英語は現地の人からすればむしろアメリカ訛りだと言われるのかも知れない。
ロンドンのホテルは空港近くのかなり立派なホテルだったが、従業員の多くがインド系の風貌をしていて、話す言葉もインド訛りがきつかった。インド訛りを文字で表現するのは難しいが、ちょっと口ごもったような感じ。
今度の旅行で一番印象に残った英語は、リオ五輪の陸上四百メートルリレーの放送の中でアナウンサーの絶叫のような驚きの声、「Japan has got a surprising silver medal !!」だった。

2016年9月6日火曜日

イングランド

ご存知のように我々がイギリスと呼んでいる国の正式名称はUK(連合王国)で、それはGB(グレート・ブリテン)と北アイルランドの連合であり、GBとはイングランドとウェールズとスコットランドの合体したものである。その地域差や意識の違いを知る事も今回の旅行の一つのテーマだった
旅行のスタートはスコットランド。エジンバラ城にはメアリー・スチュアートがジェームス六世を生んだ部屋というのが残されていた。ジェームス六世は後にジェームス一世としてイングランドの王を兼ねスコットランドとイングランドの合併のきっかけを作った人だ。日本で言うと関が原の戦いの頃の話。スコットランドの王をイングランドの王にしたのはエリザベス一世の意向で、この人は日本で言うと称徳天皇のような人だったように思う。
そのジェームス一世だが、イングランドに行くにあたって三年に一回は帰ると言いながら十七年間帰ってこなかったと肖像画の説明書きに書いてあった。イングランドの方が都会で楽しかったのだろうか。両国の関係を垣間見た気がした。
湖水地方のウィンダミア湖の遊覧船に乗ったとき偶々隣り合わせになったおばさん二人がアイルランドのダブリンから来た人だった。一人の方の言う事が全く理解できない。おそらくアイリッシュ訛りがあったのだろう。もう一人のおばさんがイングリッシュで通訳してくれて助かった。スコットランドの独立をどう思うか聞いてみたら彼女の答えは「Silly(馬鹿げている)」だった。
ウェールズ地方は今でもウェールズ語が公用語として認められており、道路標識も英語とウェールズ語の併記になっている。スコットランドでは見られなかったこの優遇は今一つ影の薄いウェールズに対する配慮なのだろうか。