2019年3月19日火曜日

英数国理社


中学の頃学校では九つの教科があったと記憶する。英語、数学、国語、理科、社会、通称英数国理社の他に音楽、美術、体育、技術・家庭の四つを加えた九科目。英数国理社は主要五科目とも呼ばれ特別扱いされていた。「主要」という言葉自体、思いあがった言い方だが、ともかく力の入れ具合が違っていた。

ところが、退職して第二の人生に入ると両者の価値が全く逆転したように感じる。

数か月に一度の帰省時一人暮しで、炊事洗濯掃除針仕事を全部自分でやるようになると、技術家庭の知識のなさが悔やまれる。

週に何回かテニスで汗を流しても、年を重ねてから我流で覚えたテニスではどうしても悪い癖が抜けない。若い時に基本を体に叩き込んだ人の美しいフォームを見ると、やっぱり鉄は熱い内に打たないとと思ってしまう。

絵もそうで、旅先でさらさらと風景をスケッチする人を見ると羨ましい。

そして音楽。カラオケやバンド活動など音楽を楽しみにしておられる方は沢山いらっしゃる。先日平田のクリスタル・コーラスという混声四部合唱のサークルにお邪魔した。参加者がソプラノ、アルト、テナー、バスのパートに分かれ綺麗なハーモニーを奏でている。#やが三つも四つもついた楽譜をその調に合わせた音階名でメロディーを歌うなんて、普通の素人には出来ない技と思えた。原豊先生という優れた指導者あればこその事だろうが、平田の音楽のレベルは高い。月一回オブジェクトで開かれるジャズで遊ぶ会も併せてこのレベルの高さは、もっと知られて良いのではないか。
教育とは本来人生を豊かにするためのものだ。リタイア後英数国理社はそれにどれだけ貢献してくれたのか。もっともこの拙文を書いているのは国語と数学(論理的思考)のお陰ではあるのだが。

2019年3月12日火曜日

アポ電

三面記事に「アポ電殺人」という見出しを見た時は何だろうと思った。アポはサラリーマン時代に「アポを取る」という言い方で良く使っていたからアポイントメントの略である事は容易に想像がついたが、それが殺人と結びつかない。取引先と面会の約束を取り付ける事が一体どういう経緯で犯罪につながったのか。記事の周辺を見渡してもその言葉に関する説明がないから、世間では定着した言葉なのだろうと、自分が取り残されたような気分を味わった。
別の日ワイドショーを見ていたら「アポ電」は「犯行予兆電話」の意味なのだとか。単純に考えたら「約束電話」なのに、犯行予兆なんて意味を負わされたらアポが可哀そうに思えた。
最近こうしたカタカナ+漢字一文字の言葉が流行っているらしい。若い人と飲んでいたら「リア充」なる言葉が出てきた。前後関係からリアル+充実を略したものだなとは想像がついたが、SNS上に充実した生活を送っているかのような投稿を繰り返す人がやっかみ半分に使う言葉だとまでは思わなかった。
日本語俗語辞典というサイトを見ると「ムカ男」などという言葉もある。これは「ムダに、カッコいい、男」の略だそうだ。こうなるともうついていけない。

こうした言葉には世相によってはやりすたりがあるのだろう。思い出すのは「E電」という言葉だ。国鉄が分割民営化され、それまで一般的だった「国電」に代わる言葉として提唱されたが、定着する事なく「JR」に敗北した。(ちなみに「国電」はちゃんと国語辞典に載っていて省線の改称とある。)Eと国と字面も似ているし良いネーミングだと思ったが、首都圏にしか使えない事が問題だったのか。E電も今頃生まれていれば人気者になれたかも知れないのに、生まれて来るのが早すぎた?

2019年3月5日火曜日

宋襄の仁


中国の春秋時代、凡そ二千六百年程前の事。宋の襄公が楚と戦った際、敵の陣容が整わない内に攻めるべきだという部下の進言に対して「人の困っているときに苦しめてはいけない」と言って攻撃せず、結局楚に負けてしまったという故事にちなんで、宋襄の仁とはつまらない情け、不必要な思いやりをすること、と辞書に載っている。だが、情けや思いやりにつまらないものや不必要なものがあるのだろうか。いつでもどこでも情けや思いやりは大切なものだと思うのだが。

人と人との間における徳目は国と国との間では全く通用しないようだ。人が損得だけを基準に行動したら、何と卑しい人間かと思われる。デコレーションケーキを分けた時に、自分の取り分が小さいと言って騒ぎ立てたら軽蔑の対象になるだけだ。ところが国家間の交渉はいつも損得だけを基準に行われるようだ。小さな無人島を、資源もないし、本当は我国のものだけど貴国との友好のためその島は譲ります、などという政治家がいたら国民全部から総スカンを食らうに違いない、襄公のように。こう考えるとそもそも国家に徳目などあるのか疑わしくなる。

唯一自由貿易だけは徳目に加えて良さそうだ。

天国と地獄の比較をした小話がある。地獄ではテーブルに美味しい料理が沢山盛り付けられているが、各人の箸が長すぎて、誰も目の前の料理を口にできない。天国はどうか。美味しい料理が沢山あるのは当然で、箸も同じように長い。ただ、違いは各人がその長い箸を使って互いに向かい合う人の口に料理を運んでいると。
この話、自由貿易と保護貿易の例えにも使えると思うがどうだろう。経済圏を囲い込んで他を排除しようとするのは結局どの国のためにもならない事は歴史が証明している。トランプさん、そうですよね。

2019年2月26日火曜日

思いやり


「ひみつをまもりますので、しょうじきにこたえてください」この文言を見て、何と思いやりのない書き方だろうと思った。実際後になってこの約束も守られる事なく、悲劇を迎える事になるのだが。

思いやりがないと感じたのは、それが大人の言い方を平仮名にしただけで、子供の発想を弁えたものだと思えなかったからである。普段からあまり子供の立場で考えるという事をしていないのではないか。子供の思考パターンへの配慮があれば、例えば「だれにもいいませんから、ほんとうのことをかいてください」というような表現になるはずだと思う。

そう思ったのは以前長女の幼稚園の運動会に参加した時の経験があるからだ。水飲み場の水道栓に「しようきんし」と書かれた札がぶら下がっていた。漢字が読めないから平仮名なら幼児にも分かるとでも思ったのだろうか。「つかってはいけません」とか「つかわないでね」とかならせめても。それでも平仮名が読める事が前提で、本来なら水道栓を赤いビニールテープでぐるぐる巻きにしておくのが最善策だと思われた。

幼稚園児の気持ちを疑似体験した事もある。「たらちね」という落語を聞いた時だ。「こんちょうはどふうはげしゅうして、しょうさがんにゅうす」長屋に住む独身の男に大家さんが縁談を持ち込む。相手の娘さんは器量よしで生活道具も一式全て持ってくるという全く申し分がないのだが、唯一言葉が丁寧すぎて分からないという欠点がある。その女性が発した挨拶が先ほどの言葉、漢字で書けば「今朝は怒風激しゅうして、小砂眼入す」となる。

他人の立場を思いやるというのは極めて難しい。こうした経験を少しづつ糧にするしかない。「たらちね」なら「賤妾浅短にあって是れ学ばざれば勤たらんと欲す」と言った所か。

2019年2月19日火曜日

親と子


結愛ちゃんと心愛ちゃん、「愛」の文字を名前に持つ二人の少女が命を落とした。それも親からの虐待が原因で。愛と言えば親から子への愛こそもっとも確かなもののはずだ。結愛ちゃんの場合は再婚相手の連れ子だったという事情あろうが、心愛ちゃんを虐待したのは血を分けた実の父親だ。顔も良く似たところのある実の子に真冬の寒い夜に冷水シャワーを浴びせるなんて、どうすればそんな事ができるのだろうか。精神を病んでいたというのならともかく、転校先の校長の印象は「腰が低く、物言いも丁寧な保護者だった」、そして職場では温厚だったとか。もう訳が分からない。

警察は不作為を理由に母親も逮捕した。心愛ちゃんには一歳の妹がいると聞く。両親がいなくなりその子はどうしているのだろう。警察が親子の情を無視して、家庭の不和にそこまで踏み込んでもいいものだろうか。

親が子を思う気持ちは何よりも尊いものだと信じていたい。

池江璃花子選手の白血病のニュースにはただただ驚いた。そして思ったのは池江選手の御両親の事だった。容姿端麗性格明朗、非の打処のない文字通り世界一の自慢の娘が命をも危ぶまれる大病に罹患したら、おそらく本人以上に目の前が真っ暗になっただろう。それが親子というものだ。池江選手の回復を心から願ってやまない。
週刊文春最新号の池上彰氏の記事を見た。ベネズエラのインフレを取り上げて一千万%のインフレとは百円が十億円になる事だと書いてあった。百円が十億円になるのは一千万倍になる事だ。「%」と「倍」を同一に考えている。それは間違いではないか。ちょっと自信がなくなったが百%増は百倍とは違うので、先週の私の解釈が正しいはずだ。池上氏でも間違えるのだから大きい数字の%表記はやめた方が良いと改めて思った。

2019年2月12日火曜日

パーセント


「パーセント」(以下%)の「パー」は「・・・につき」で「セント」は「百」だから、直訳すれば「百につき」の意味になる。釈迦に説法だが、消費税八%とは百円の消費につき八円の消費税、日銀が目指す二%のインフレ率とは物価を対前年比で百円につき二円上げたいという事だ。%の数字も一桁程度なら直感的に理解できるのだが・・・。

政治的混乱が続く南米のベネズエラではインフレ率が170万%になったという。百%上昇なら二倍になる事だし、二百%上昇なら三倍になる事だ。要するにX%上昇とは「1+X/100」倍になる事を意味するから、これに当てはめるとベネズエラの物価は一年間で17001倍になったという事なのだろうか。おそらく最後の1は誤差範囲だろうから、凡そ一万七千倍になったと言う事なのだろう。

「率」という言葉を使うから「パーセント」という目盛りで表現したいのだろうが、ここまで来ると表現方法を見直した方が良いではないか。第一次世界大戦後のドイツのインフレでは物価が384億倍になったとも1兆倍になったとも言われる。もし1兆倍ならパーセントに拘れば百兆%のインフレだった、という事になる。パーセント表示に拘るのは数字を大きくして驚かせたいという意図でもあるのだろうか。
昔は五%程度あった普通預金の金利も最近は0.001%などと馬鹿にしたような数字になっている。こうなると百を基準にしても直感的に理解できないので、一円の利子を貰うために十万円の預金が必要だと考えた方が分かりやすい。一千万円の預金があっても一回の引落とし手数料(百円)で利子は飛んでしまう。こちらのパーセント表示は兎にも角にもちゃんと利子をつけてますよというアリバイに使われているような気がする。

2019年2月5日火曜日

化粧


全豪オープンで見せた大坂なおみ選手の強さは素晴らしかった。決勝で第二セットを奪われた後巻き返した強さは本物だ。男子決勝のジョコビッチも強かった。あのナダルを相手につけ入る隙を見せなかった。去年の全米の決勝も強かった。デルポトロも決して調子が悪いわけではなかったのに、その強打をことごとく打ち返したあの粘りを見ると、今やジョコビッチに敵なしと思われた。もうジョコビッチに勝てるのは大坂なおみしかいない!

その大坂選手だが、優勝後モダンデザインを思わせるワンピースを着て浜辺を歩く姿が放映された。大きなイヤリングをつけ、真っ赤な口紅を塗っている。化粧が過大ではないかと思ってしまった。当然ちゃんとしたスタイリストがついての事だろうから世間一般的にはそれが美しい姿なのだろうが、私からするとテニスをしている時の大坂選手の方がずっと素敵に見える。

「化粧」という言葉、明治以後の新しい言葉かと思ったが平安時代からあるらしい。そもそも化粧そのものが紀元前四千年頃すでにエジプトにはあったそうだ。美容院や香料工場があり、アイシャドー、頬紅なども揃っていたとか。クレオパトラは「眉毛と睫毛に墨を塗り、上瞼には暗青色を、下瞼にはナイルグリーンを使っていた」とある。クレオパトラの場合は政略的な必要性もあったろうが、過度な化粧には違和感を覚える。スキージャンプの髙梨沙羅選手の場合もそうだった。純情可憐な少女のイメージが厚い化粧で崩れてしまった時には本当にがっかりした。
必要以上の化粧は刺青にも似て、元の体を傷つけるに等しいのではないか。「身体髪膚これを父母に受く敢えて毀傷せざるは孝の始めなり」西安の碑林博物館で目にしたこの言葉の「膚」にはそういう意味合いもありそうだ。