2019年12月24日火曜日

弱者の権利


二か月程前になるが、ウィーンなど中欧四カ国を回る七泊八日の旅をした。

ウィーンの街中を歩いて驚いたのが歩行者用の信号だった。日本と同じように青信号は人の歩く姿、赤信号は立ち止まる姿が描かれているが、その人影が変わっている。どう見ても男同士と思われる二人が手を繋いで歩いている。しかも二人の間にはハートマークまでが描かれている。「あれ、ゲイじゃないの」と現地ガイドに尋ねるとまさにそうだった。描かれている図柄はゲイパターンだけじゃなく、女性二人が手を繋いでいるレズパターンや、勿論普通に男女のパターンもある。男女の場合は女性が先に立って男性を引っ張っている図で、如何にも!と思ったものだ。

現地のガイドによると、近年LGBTに対する配慮からかなりの予算を使って信号機の取り換えが行われた由。それを聞いて少し複雑な気持ちになった。

確かに社会が弱者(LGBTが弱者か議論もあろうが)への思いやりを欠くのは良くない事だ。だが逆に弱者が必要以上に権利を主張するのも如何なものかとも思う。例えば私が病に倒れ家族の看病が必要な身になったとしよう。家庭内弱者になった私が「俺は病人なんだからちゃんと世話をしろ」などと看病を当然の事として威張ったら、つまり権利を主張したらやはりまずいのではないか。『「すまぬすまぬ」を背中に聞けば「馬鹿を云うな」とまた進む』、控えめな弱者を社会が温かく見守る、それがあるべき姿ではないだろうか。

そんな事を思っていたら、経産省の性同一性障害の男性が女性トイレを使う権利を主張して勝訴したというニュースが飛び込んできた。これについてはまた別稿で。
今年もご愛読ありがとうございました。年明けは七日からお目にかかります。皆様良い年をお迎えください。

2019年12月17日火曜日

桜を見る怪


何かとても信じられない事が次々に起きる。

参加者名簿をシュレッダーに掛けたとか、そのバックアップデータを削除したとか、それはシンクライアント方式だから復元できないとか、そもそもバックアップデータは行政文書ではないとか、反社会的勢力は定義できないとか。一体どうなっているんだ。

パソコンの中のデータが復元できない理由でシンクライアント方式が出てきた時には耳を疑った。全く理由になっていないからだ。シンクライアント方式とはデータ保存にどの記憶媒体を利用するかというだけの問題で、復元できるかどうかの問題とは関係ない。

そうこう言っている時に神奈川県の行政文書を記録したハードディスクがネットオークションに流出して大騒ぎになった。そこではデータを消去するとはどういう事かが詳細に語られた。つまり本当にデータを復元不可能にするためにはハードディスクを物理的に破壊するしかない、と。

内閣府のシンクライアント方式のサーバーは他の行政文書も一緒に保管してあるだろうから、まさか桜を見る会の名簿だけのためにディスクを物理的に破壊したわけではないだろう。

どうしてこうも支離滅裂な苦し紛れの答弁が繰り返されるのか。ネットで伊東乾氏の推理では、憲法第七五条があるから内閣総理大臣自身は実質的に刑事訴追されることがなく、「首相案件は立件できない」から「首相案件は立件してもしょせん潰される」「首相案件は関係してもろくなことにならない」となり「首相案件は、率先して潰すことで点を稼ぐことができる」になっているのではと。

それにしても「いくらなんでもそれはちょっとマズイですよ」と諫める人が一人も出て来ないのは嘆かわしい。そんな骨のないクラゲのような人達に国を任せて大丈夫なのだろうか。

2019年12月11日水曜日

大嘗宮の不思議

大嘗宮の内、悠紀殿が女千木、主基殿が男千木であった事は3日のブログで報告した通り。
ところが國學院大學の博物館で行われた大嘗祭の企画展での展示物を見ると両方とも男千木だったりする。一体何が本当なのか?質問したかったが学芸員さんが不在で質問できず。今回の清水建設が造った大嘗宮は元文三年の資料を基にしたものと思われます。


2019年12月10日火曜日


天皇陛下の第一人称と言えば「朕」を思い出す。「朕惟フニ」は教育勅語をはじめとしてよく耳にするフレーズだった。戦後人間宣言を経て、天皇陛下がご自身に言及する際どんな言葉をお使いになるのか、興味をもって即位の式典を見ていた。

皇居前広場で行われた国民の祭典の最後に二重橋の上で述べられた天皇のお言葉、一人称で語るべき文章は沢山あったがそのいずれもに主語は省かれていた。「宣明しました」「感謝します」「嬉しく思いながら過ごしています」「お見舞いを申し上げます」「心から願っています」などなど。主語を敢えて明記しなくても文章が成立する日本語の特質が活かされてるが、どうしても一人称の主語を言わねばならない時にはどう仰るのだろう。中には「私たち二人で新たにしてきました」という表現があるからやはり「私」か。

「朕」という言葉が最後に使われたのは昭和二十一年の年頭の「新日本建設ニ関スル詔書」所謂人間宣言だろうか。国立公文書館でそれを読んだ時は感動した。新年を迎えるにあたり明治天皇が国是とした五か条のご誓文を再確認し、以下「朕は茲に誓いを新たにして国運を開かんと欲す。須らく此の御趣旨に則り旧来の陋習を去り、民意を暢達し、官民挙げて平和主義に徹し、教養豊かに文化を築き、以て民生の向上を図り、新日本を建設すべし。(中略)

同時に朕は我国民が時艱に蹶起し当面の困苦克服の為に又産業及文運振興の為に勇往せんことを希念す。我国民が其の公民生活に於て団結し、相倚り相扶け、寛容相許すの気風を作興するに於ては能く我至高の伝統に恥じざる真価を発揮するに至らん。」と続く。
バブル崩壊後元気のない日本だが、令和の今こそ「我至高の伝統に恥じざる真価を発揮」すべき時ではないか。

2019年12月4日水曜日

大嘗宮一般公開4

最後は平川門を出て竹橋を渡る。
綺麗な橋だ。竹橋というくらいだから昔は竹で出来ていたのだろう。現在の橋はいつ建てられたものなのか。(ネットで調べてから投稿しろ?!はい、ごめんなさい。でも竹橋でググったら、違う橋が出てきた。地下鉄竹橋駅から北の丸公園に向かうコンクリートの橋を竹橋というらしい。この橋は竹橋ではないのか?)
関東大震災や空襲などによる火災の際、燃えたのではないかと心配だが、欄干の擬宝珠が注意を惹いた。建設年月日と建設に携わった大工の名前が書いてある。大工の名を残すなんてなかなかやるじゃないか、と思って隣の擬宝珠を見ると、今度は大工の文字を掻き消して長谷川越後守とある。あれー?!大工が自分の名前を書こうとしたらお偉いさんがやってきて書き直させたのか?普通こんな事をしたら全体を作り直すと思うけどなあ・・・
欄干の擬宝珠全部見ると、あるものには大工の名がそのまま、あるものは大工の文字を掻き消して、とほぼ半分づつだ。一体これは何を意味するのだろう??


大嘗宮一般公開3

大嘗宮一般公開で皇居内の色んな事が気になった。
まずは石垣。
富士宮城らを通って、本丸内に入る時の石垣は両方が実に綺麗に整っている。カミソリの歯も通らないようだ。石と石の間に隙間が沢山空いている普通の城の石垣とは随分と違う。流石は徳川幕府!と思わせる。だが、表面の仕上げがなされていない石垣もある。
最後の写真は右と左で全く違う。建設時期が異なるのだろう。最初は左右両方が一緒に建設され、右側だけ何かの理由で崩れたので再建したのだろうか?


大嘗宮一般公開2

大嘗宮、向かって右が悠紀殿、左が主基殿、説明文を読んでも二つの役割に大きな違いがあるように思えないが、悠紀殿は女千木、主基殿は男千木が乗っていた。どうしてだろう?(係員は盛んに「立ち止まらないでください」を連呼している)
千木はこの写真では分からないが、正面に面した部分は木材の皮がついたままで、後はちゃんと鉋が掛けてある。これも良く分からない。
鰹木は二本セットで、両端だけは一本、これも良く分からない。



大嘗宮一般公開

大嘗宮一般公開に行ってきました。
大嫌いな大混雑を覚悟してたけど、どっこいこれがガラガラ。
と言うのも、坂下門を潜ると、乾通りを通って大嘗宮へ行くルートと、単に大嘗宮へ行くルートの二つがあって、殆どの人が折角だから両方見ようと前者のルートを選択する。後者を選択するのはせいぜい2%か3%と言った具合。というわけで常に空いてる方が好きな私は当然後者を選び、ガラガラだった次第。
でもこちらのルートには富士見櫓があって、これが石垣に当時の面影を宿して、実に見事!乾通りを選んだ人はこの絶景が見れなかったわけだ。ザマーミロ!と思わず叫びたくなった。
だが、合流地点からは流石に混雑が始まった。まあこれくらいは仕方ないね。


2019年12月3日火曜日

体育とスポーツ

先日民放の某テレビ番組を見ていたら竹中平蔵氏が例の「体育排斥、スポーツ歓迎論」をぶっていた。平素歯切れの良い論説で竹中氏には一目置いているが、これはいただけない。
氏曰く「体育は軍事教練の色彩があるが、スポーツは楽しんでやるものなのだ」と。確かにそうした側面もあるかも知れない。アメリカの小学校で運動会を見た時は驚いた。全員が揃って入場行進をする訳でもなく、まるで遊戯会のようにいつの間にか始まって、あちこちでバラバラに進行している。ある場所ではボールを籠目掛けて投げている子がいるかと思えば、別の場所では幅跳びをやっている子もいる。オリンピックの陸上競技はトラックで選手が走っている時にフィールドでは投擲競技が行われているという具合で複数の競技が同時進行するが、まさに運動会もその方式なのだ。一つの競技が全員が注視する中で行われる日本式が異端なのか。後日行われた日本人学校の運動会で全員が粛然と行進し整列し、演壇で校長が挨拶する姿を見ると学徒動員の壮行式を見る思いがした。
しかし「体育」に罪はない。学科としての体育は戦時中には「体練科」だった。漱石は「吾輩は猫である」の中で「昔のギリシャ人は非常に体育を重んじたもので」と書いている。ラグビーがイギリスのエリート校で流行したのもそれを通じて人格形成を行う教育面が重視されての事だろう。仮に戦時中の暗いイメージが付きまとうから体育という言葉をどうしても排除したいとしても安易に西洋の概念や言葉に頼るのでは情けない。運動や競技、どうしても楽しむ事を強調したいなら遊戯なんて言葉もある。
国民体育大会が国民スポーツ大会になってしまうと「国体」は「国スポ」になるのか?二流のスポーツ新聞みたいで、それだけは勘弁して欲しい。

2019年11月28日木曜日

津和野4

津和野お勧めの最後は堀庭園。津和野から少し離れた山中にあるかつての実業家の家。昭和三十年代に当時の島根県知事からの手紙が展示してあったから、つい最近まで実際に住まれていたのだろうと思います。
庭園や書院造りの建物も良く整備保存されていて、ゆっくり畳の上で寝転がるのも良いでしょう。



津和野3

津和野のお勧め三番目は永明寺。これで「ようめいじ」と読みます。
津和野藩主亀井家の菩提寺で、津和野が生んだ文豪森鴎外の墓もあります。
また亀井氏が来る前までの藩主で津和野城を築いた坂崎出羽守の墓もあります。
坂崎出羽守は大坂夏の陣で千姫を助けたが、助けた者には千姫を嫁がせるという家康の約束を守って貰えず、逆に切腹を仰せつかり、あまつさえ御家断絶の憂き目を見たという悲劇の武将。千姫が「あの人の元に嫁ぐなんて!まっぴらごめん」と言ったからというけど、あまりに酷いじゃない!と思ってた。
だけど、津和野に来て本当の理由が分かった。坂崎はもと宇喜多を名乗っていて、実際宇喜多秀家の従兄弟に当たるのだとか。宇喜多秀家は関ケ原の戦いで石田三成側で大いに戦った人。その従兄弟がオメオメと豊臣を滅ぼす戦いに参加したことが家康は許せなかったのではないだろうか?というのが僕の推察です。どうかな?
しかし、この寺、傷みがひどすぎる。堂内には雨漏りの跡さえある。はやく手当しないと取り返しがつかないのではと心配!



津和野2

津和野二番目のお勧めが太鼓谷稲荷神社。
普通にワープロで変換すると上記の記述になりますが、正式には鼓の字の作りは支でなく皮。稲荷の荷は成の字を書きます。
津和野城跡へ上るロープウェイの乗り場からすぐ横に立地し楽に行ける。昔は鳥居が何百本も連なった参道を歩いてお参りしたものだそうですが。
この大きな社もかつてはうんと小さいものだったとか。日本遺産センターへ行くと江戸末期、明治初年のこの社がうんと小さく描かれています。その絵を見て、またそこの学芸員さんとお話するとためになる話が一杯聞けます。



津和野1

小中学校の同窓生仲間で津和野へ行きました。
津和野のお勧めをご紹介します。
まずは津和野城跡。城郭は残念ながら残っていませんが天空の城と言ってよい立地は見もの。兵庫県の竹田城も行ったけど、津和野の方が断然良い!天守閣は江戸時代に落雷で焼失して再建されなかったそうだけど、それ以外の櫓などは明治維新で取り壊されたとか、なんと勿体ない!
紅葉も綺麗でした。(顔が邪魔かも知れないけど失礼します。)




2019年11月26日火曜日

麻薬


沢尻エリカの映画は二つ見た。「パッチギ」の清純可憐な女生徒像には大きく心を動かされた。「ヘルタースケルター」は恥ずかしながら性的な好奇心だけで画面を追って、ストーリーや内容は殆ど記憶に残っていない。現実の彼女の実像は知る由もないが、恐らくは感情の起伏が激しく、その手の組織からは狙われやすい性格なのではと推察する。

麻薬や覚醒剤がどれほど強いものか知らないが、毎晩お酒の誘惑に抗えないでいる身には他人ごとには思えない側面もある。もし日本で禁酒法が施行されたら、それを守るだけの強い意思が自分にはあるのだろうか。いやいや、車を運転する事が分かっている時には決してアルコールには手を出さないのだから恐らく大丈夫だろう。

麻薬や覚醒剤を禁止する法律の保護法益の一番は、個人の健康ではなく、それが蔓延する事による社会の混乱や停滞の防止である事は、清朝末期の中国がアヘンで苦しんだ事からも分かる。だからそれらを常用する事より、人に勧めたり製造流通させたりする事の方が遥かに罪は重い。だがそれを国家ぐるみでやった国がある。言わずと知れたイギリスだ。

国家犯罪と言えばナチスによるホロコーストを思い出すが、イギリスが中国にアヘンを流通させたのはそれに匹敵するくらい酷い事だと思う。歴史認識だとか過去の罪を謝罪しろだとか、色々言われるがイギリスが中国に謝罪したという話を聞かない。勝てば官軍だから?ならばベトナムに枯葉剤を撒いて奇形児を作ったアメリカはどうか。イギリスが中東パレスチナで行った二枚舌三枚舌外交は詐欺そのもので、それは未だに禍根を残しているが、それが謝罪されたという話も聞かない。

夜酒を飲みながら、沢尻エリカのニュースを聞き、国際政治の不合理さに八つ当たりした。

2019年11月19日火曜日

せこい

数年前テニス仲間で「舛添ショット」という言葉が流行った。コートの後方で構えている相手に対して、ボールをネット際にポトリと落とす所謂ドロップショットを表現したもので、要するに「せこい」という訳だ。勿論テニスでは立派な戦術で高度の技術を要し、決してせこい訳ではないのだが。昨今なら「健作ショット」とでもなるのかな。桜を見る会だって見方によれば結構せこい。
語源辞典によれば「せこい」は「こせこせする」とか「こせつく」の「こせ」を逆にして、形容詞形にしたものだそうだ。それにしても、お金に困っているとはとても思えないような人が、わずかなお金のために折角の名声を犠牲にしてしまうのは理解に苦しむ。舛添さんの場合は気鋭の政治学者として名を売り、政界に進出してからは一時は与謝野馨氏と人気を二分する程の期待を博し、全てが順調だったはずなのに、ホテル三日月や中国土産などですっかりケチをつけてしまった。
その舛添さんが政治学者として優秀である事を示す本に出会った。最近出版された「ヒトラーの正体」という本がそれである。あれだけ優秀なドイツ民族がどうしてあのようなモンスターを産んでしまったのか、そして丸め込まれてしまったのか。その疑問にかなり的確に答えてくれる。
この本で初めて知ったのは、ヒトラーはオーストリア生まれでドイツ国籍を取得したのは首相になるわずか一年前だったという事、ユダヤ人迫害の背景にはローザ・ルクセンブルグなど11月革命で第一次大戦敗北の原因を作ったのがユダヤ人だったという匕首伝説がある事など。引用文献には原本に引用箇所が記載されている頁数まで明記してあり、著者の誠意を感じた。この本は決してせこくない。一読をお勧めする次第である。

2019年11月12日火曜日

五輪出場

「オリンピックは参加する事に意義がある」。私が子供の頃はそう教わってきた。勝ち負けに拘らず、各国選手達と交流を深め、平和の大切さを実感する事がオリンピックの意義だ、というように理解していたが、昨今のオリンピックはメダルを取る事に意義があるというふうに変わってきたようだ。
そもそも「参加する事に意義がある」というのは参加する人が少なくて、選手に参加を呼び掛ける標語だったみたいだ。クーベルタン男爵が古代ギリシャのオリンピックを近代に甦らせようと苦労した経緯はその伝記に詳しいだろうが、初期の開催期間を見ても分かる。第一回アテネ大会は189646日から15日まで、これはまあ理解できるとして、それ以降第二回パリ大会は520日から1028日まで、第三回セントルイス大会は71日から1123日まで、第四回ロンドン大会は427日から1031日までと言った具合で開催期間が異常に長い。これは同時に開催された万国博の余興として行われたからだ。五輪が万博の余興?!今では考えられない状況だが、おそらく選手も集まらず、お金も集まらなかったのだろう。優勝した選手に賞金も出せないからメダルで誤魔化した、などと思うのは下種の勘繰りだろうか。
今やオリンピックは絶大な権威を獲得し、参加したい選手が溢れている。賞金を貰えなくても良いから兎に角出たい、というのだから凄い事だ。ならば当初の標語を思い出して、参加する意義を再認識して、参加したい人は全員参加させれば良いではないか。大会運営の都合もあるだろうから一定の基準をクリアした人という線切りは必要だろうが、個人出場枠の創設を提案したい。卓球やマラソンや柔道など出場枠が限られている選手たちを見ると可哀そうだ。

2019年11月6日水曜日

改元の政令

昭和から平成になった時、改元の政令には平成天皇が署名された。平成から令和になった時も平成天皇。次の元号が決まった時はまだ平成だったから当然と言えば当然。だが本来改元の政令は新しい天皇が署名すべきものの筈。令和になった時の署名は心なしか元気がないような気がするが・・・・

日本頑張れ

現在国立公文書館では「行幸ー近現代の皇室と国民」という展示をやってます。(入場無料、11月10日まで)明治維新以降、天皇の行幸にあたっての通達や勅書などが展示されてます。終戦後の最初の正月に昭和天皇が出された「新日本建設に関する書」に感激しました。

旧来の陋習を去り、民意を暢達し、官民挙げて平和主義に徹し、教養豊かに文化を築き、以て民生の向上を図り、新日本を建設すべし
我国民が時艱に蹶起し当面の困苦克服の為に又産業及文運振興の為に勇往せんことを希念す。我国民が其の公民生活に於て団結し、相倚り相扶け、寛容相許すの気風を作興する於ては能く我至高の伝統に恥じざる真価を発揮するに至らん。

良いじゃないですか。




失われた二十年が過ぎても元気のない日本、戦後焼け野原から立ち直った時を思い出して、もう一度頑張れ!日本!

2019年11月5日火曜日

カルチャーラジオ


NHKのラジオ第二放送でカルチャーラジオという番組がある。毎晩八時半から九時まで歴史、芸術、文学、科学などの分野で識者が最新の話題や研究成果について話をする。NHKには色々文句を言いたい事が多々あるが、この番組は気に入っている。

テーマの選び方にセンスがあると思う。数年前文学の分野でボブ・ディランを取り上げていた。その時は内容があまり好みに合っていなかったので二三回だけ聴いて辞めてしまったが、その数か月後にボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞し、我慢してちゃんと聴いておけば良かったと後悔したものだ。

そして今年のノーベル賞、物理学賞を取った系外惑星の話はつい最近テーマになったものだし、それに前後してテーマとなったリチウムイオン電池はなんと吉野彰氏ご自身が講師を務められた。ノーベル賞受賞者が自分の声で話す番組などはそう滅多にあるものではない。これもそうと分かっていればもっと熱心に聴いたのに。覚えているのは、成功した研究の裏に何百もの失敗が隠れている事、技術的完成が必ずしも市場での成功を意味しない事、最近の電池は過充電しても寿命に影響がない事、などか。それまでは過充電を恐れて、ほぼ完全に放電するまで充電を控えていたが気にしなくて良いようだ。

系外惑星の話の時は最近の観測技術の凄さに驚いた。恒星の前を惑星が横切る時の僅かな光量の変化を捉えたり、惑星の引力による恒星の動きのドップラー効果の波長変化を捉えたり、信じられないような事が今は可能になっているのだと。
これらの放送はSDカードに録音して散歩のお供に聴いているのだが、思えば指の爪ほどの大きさのカードに昔ならカセットテープ何十本分もの録音が出来るのだから、技術の進歩は凡人の想像を超える凄いものだ。

2019年10月29日火曜日

ラグビー


今回のラグビーワールドカップでの日本チームの活躍を見て、四十年近く前、私が初めてラグビーに興味を持った頃の事を思い出した。

当時は大学ラグビーの人気が高く、特に早明戦の人気は凄かった。早稲田はそのスタンドオフ本城に象徴される華麗なパス回しを得意とするチーム、一方の明治は北島監督が進める「前へ前へ」と愚直にひたすらフォワードで押していくスタイル。(私は内心いつも明治を応援していたのだが。)全く対照的なチームが全勝同士で相まみえるというパターンが多かった。

その頃のラグビーと今回のは色んな所で違いがあった。

まずはラインアウト。昔は96532などと数字を言ってボールを投げ入れていた。おそらくそれがサインでボールを投げるタイミング、誰を受け手とするのかなどの意思疎通が行われていたのだろう。人を担ぎあげる事などは許されていなかったのではないか。

得点に関しても昔はトライで4点、コンバージョンゴールで3点だった。ラグビーを良く知らない女の子が試合結果を52と予想するなどという笑い話もあった。

そして一番はラグビー場、昔はあんなに綺麗な芝生ではなかった。花園でも秩父宮でも下は土で、雨でも降ろうものなら選手は泥んこになってプレーしていた。ペナルティキックなどボールを下に置いて蹴る場合は土を搔き集めて小山を作り、その上にボールを乗せて蹴っていた。
英国発祥のゲームはサッカーでもラグビーでも雨でも中止しない。泥んこになってプレーする選手を見た英国人が「どうして中止しないのか」と聞いた。だって英国では中止しないでしょう、と言う日本人に対し「それは下が芝生だからで、泥んこになってまでする事はないじゃないか」との答えが返ってきた。もうそんな屈辱も味わわないで済む。

2019年10月24日木曜日

ウィーン空港の宣伝広告。マスターカードの広告だったかな?
恋こそ人生、人生は恋!
何歳になっても恋を始めよう!なんてウィーンらしくて良いなあ!

絵画鑑賞2

そうそう、クリムトが若い頃は写実的な絵を描いていた、って知ってましたか?これがその一例。ピカソも若い頃写実的だったけど、ピカソよりクリムトの方がうまいと思いました。



絵画鑑賞

最終日ウィーンのベルベデーレ宮殿ではクリムトやシーレの絵を間近に見る事が出来ました。
ここではフラッシュを炊かない事を条件に写真撮影が許されてます。
クリムトの絵とツーショットの写真を撮るなんて日本じゃ考えられない事。もしこの絵が日本に来たら黒山の人だかりになって、「絵の前では立ち止まらないで下さい」というアナウンスが出る事必定!(もっともこの絵は門外不出だそうで、日本へ来ることは残念ながらないと思いますが)
ここではすぐそばまで行って絵の具の盛り上がりまでも見る事が出来ます。これも海外旅行の楽しみの一つ?



2019年10月22日火曜日

体育の日


先日新聞でとんでもない記事に出くわした。「体育の日」が「スポーツの日」になる、というのだ。読んで思わず「バッカモーン!」と叫んでしまった。

記事を以下に要約する。

かつて十月十日だった体育の日は二十年前から十月の第二月曜日になった。それも今年限り。来年は七月二十四日(五輪開催日)が「スポーツの日」となる。日本体育協会はすでに日本スポーツ協会に改称し、国民体育大会も四年後には国民スポーツ大会になる。

同記事にはサッカーの岡田武史氏の「学校体育の中の『右向け右』と、自分で判断しなきゃいけないスポーツは別」という談話も載っている。一体いつから、どうして「体育」が悪者で「スポーツ」が正義の味方になったのか。

元々体育とは「徳育知育体育を併せ行う事を真の教育とする」という方針の下で始まった言葉だ。日本国語大事典には「身体の発達を促進し、運動能力を高めるとともに健康な生活を営む態度を養う事を目的とする教育」とある。一方のスポーツは「もともとは気晴らしにする遊戯をさしたが時代の変遷とともに競争的要素の強い技術的にも高度な運動競技をさすようになった」とあり、ランダムハウス英和辞典にも「気晴らし、暇つぶし、戯れ、冗談、愚弄」などの訳語が当てられている。

ラグビーを見ていると、試合後敵味方なく互いに敬意を表す選手達、試合中のボール処理に見せる知性、そしてフィジカルのぶつかり合いなど、まさに徳育知育体育のすべてが詰まっているように思える。
原発関係の醜聞や権力者に阿て恥じない官僚達が報じられると徳育はどうしたかと嘆きたくなるが、徳育のみならず体育までも葬り去ろうというのか。明治も百五十年を過ぎた。いい加減、盲目的な横文字礼賛は卒業したらどうか。

2019年10月18日金曜日

ウィーンの信号

ウィーンの街を歩いて歩行者用の信号に様々なデザインがある事に気づいた。
勿論日本の信号のように一人の人が歩く姿がある。
だが、どう見ても男が二人手をつないで歩いているのや、女が二人手をつないで歩いているのがある。
オーストリアではLGBTの権利を認める動きが盛んで、ゲイやレズの結婚を制度的に認めるようになり、その流れとして信号にも彼等を受け入れるべくデザインが追加されたとの事だった。勿論、ストレートもある。
(これからは僕の独り言。でもなあ。LGBTを差別するのは絶対いけないと僕も思う。だけどそれを大手を振って、威張ったように権利を主張するのはいかがなものかと思ってしまう。例えば僕が病気になったとする。僕は家族に申し訳ないという気持ちで、「ゴメン、ゴメン」と言いながら、でも一生懸命介護してくれる家族に感謝するだろう。もし僕が威張りだして「俺は病気なんだから、お前たち、三食を二食にしても俺の介護費用を捻りだせ」と主張したらどうだろうか。LGBTが声高に権利を主張するのはなんだかそれに似ているような気がしてしまう。・・・いやいやそんな事を言っちゃいけないよね)




ウィーン ホテル

ウィーンへ着いた。ホテルから外を見ると満月ではないが相応に大きい月が見える。
異国で月を見ると阿倍仲麻呂を思い出して「三笠の山に出し月かも」と感嘆する。
ロビーには現地時間のほかにニューヨークと東京の時間が表示されていた。嬉しかった。
その内に東京は北京にとって変わられるだろうが。
(翌朝、バイキングの会場では中国語が飛び交っていた。しかも彼らは若い!日本人は年寄りばかり。この差は一体何だ!!)


2019年10月15日火曜日

台風その後

十三日未明、雨戸を開けると南の空に満月が煌々とかかっていた。有難い事に今回も大きな被害を受けることなく台風は過ぎ去ったようだ。

台風19号、915hPaというとんでもない強さに風の被害を恐れた。しかもその予想ルートはかつて昭和二十二年に関東地方に大きな被害をもたらしたカスリーン台風と良く似たコースをたどっている。カスリーン台風の時は利根川の堤防が決壊し、我家の周りの電柱にはその時の水位を表示する赤いテープが巻いてある。気象庁はこれまでに経験した事のないような大雨への警戒を呼び掛けているし、しかし利根川が決壊でもしようものならもはやお手上げ、なすすべはないと思われた。

それでも最低限の準備として、ありったけのペットボトルに飲み水を入れ、浴槽には水を張り、スマホやパソコンを予備電源も含めてフル充電し、ガソリンを満タンにして非常食として缶詰やカップ麺を買い込んできた。スーパーの棚で残りまばらになっているのを見ると、つい必要以上にカップ麺を買ってしまう。

それにしても十月に入ってから何度か買い物をしているが、いまだキャッシュレスによるポイント還元の恩恵に与っていないが、どうしてだろう。イオンやヨーカドーなど全国区の大企業は対象外で仕方ないが、左程メジャーではないと思われるスーパーで最近クレジットカードの受付を始めた店でもポイント還元がない。何のためのカード導入だったのか。

ポイント還元のためには一日平均八億円の税金が使われているとか。その恩恵を受けている人も沢山いるんだろうなあ。

夜が明けて各地の被害状況が明らかになってきた。食卓の上で山盛りになっているカップ麺を見ながらため息をつく幸せに感謝しなければと思った。

2019年10月11日金曜日

台風

昭和22年のカスリン台風、今回の台風19号と進路が似ているのが気になる。大きな被害が出なければ良いが。
利根川には決壊(潰の字が本来?これはつぶす、つぶれるという意味があるらしい。胃潰瘍が胃の一部がつぶれちゃうんだね)した場所には記念碑が立っている。とおく筑波山が見えるのが分かるかな?
ちなみに利根川水系には根利川って川があるんだね。群馬県の奥の方らしい。それにしても紛らわしい。