2023年12月26日火曜日

この一年

 この一年、皆様にはどんな年だったでしょうか。

世の中では戦争や猛暑、芸能界政界での不祥事等が記録に残るのだろうが、私には身体の経年劣化を実感する年だった。高血圧対策の薬が手放せなくなり、腰痛とそれに起因する右脚の痺れと痛みに悩まされた。医者の見立てによれば椎間板ヘルニアだそうだが、幸いテニス等の運動は支障ないとの事なので週四回のテニスは続ける事が出来た。身体の経年劣化に伴い、お酒の量を控える努力をしているが、テニスが終わってから映画や将棋対局を見ながら飲むビールは格別だ。

で、今年見た映画で印象に残っているものを挙げると「グリーン・ゾーン(2010)」と「ホワイトナイツ/白夜(1985)」になろうか。前者はイラクに大量破壊兵器があるとして攻め込んだ米軍を描いた反戦映画、後者は自由を求めてソ連からアメリカに亡命したバレエダンサーと、逆に商業主義に毒されたアメリカを捨てソ連に亡命したタップダンサーが交流するサスペンス。どちらも自信を持ってお薦めする。

本で印象に残っているのは「死の講義」(橋爪大三郎)と「無限を読みとく数学入門」(小島寛之)の二冊。前者は哲学や宗教が死とどう向き合っているかを解説し、死について考える本。後者は無限をテーマに様々な数学的話題を取り上げているが、アキレスと亀のパラドックスをこれ程真摯に深く考察した本は初めてだった。

無限と言えば、宇宙の無限の果てはどうなっているのだろう。昔の人は無限の先にある地の果てを知らなかったが、今はそれを小学生でも知っている。いつか科学が発達すれば時間軸を超越して宇宙を俯瞰する視点も持てるだろうが、その前に私の生が尽きるのが残念だ。

年明けは九日からお目に掛かります。皆様良い年をお迎え下さい。

2023年12月19日火曜日

Xmas

 街がクリスマスモードになってきた。いたる所に緑や赤の飾り物が見られ、ジングルベルや赤い鼻のトナカイなどの歌が何となくソワソワ・ウキウキした気分にさせる。

バレンタインやハロウィンや、はたまた最近はブラック・フライデーなどと海の向こうからやってきたイベントに国民を挙げて浮かれているのには内心苦々しく思っているが、東洋では長い間商業を蔑視して来たから仕方ないのだろう。花祭りや彼岸やお盆では商売っ気を丸出しにして浮かれ騒ぐ事も出来まいから。

それはさておき、最近クリスマスソングとしてすっかり定着した感があるのが、ジョン・レノンのHappy Xmas (War is over)だ。街中でも良くこの曲が流れている。いかにもジョンの曲らしく、単純だが力強い調べが心に迫ってくる。今年はウクライナやパレスチナで戦争が続き一層この曲が心に響く。

 さあ、クリスマスだ

 ところで君は何をしたの

 一つの年が終わり

 新しい年が始まる

と歌い始め、白人も黒人もアジア系もヒスパニック系もみんなの幸せを願う歌声の後ろにWar is over (戦争は終わりだ)というコーラスが流れる。

ジョン・レノンはベトナム戦争を念頭にこの曲を書いたそうだが、彼の死後も旧ユーゴスラビアの内戦やミャンマーの内戦を始め戦火が止む時がない。人類は一体いつになったら戦争を終わりにするのだろうか。

かつて武士は他者から侮られないために、自らの身体と精神を鍛錬した。今の国は他国から侮られないため、兵器の開発増産にいそしんでいる。そして兵器産業を守るためにわざわざ揉め事を探して戦争しているのではないかとさえ思えて来る。どこかが間違っている。

戦争を終わりにする方法があったら、どうかイエス様教えてください。

2023年12月15日金曜日

イタリア旅行

 2023/12/6から12/13までイタリアへ行ってきました。

イタリアの街は道路がまるで駐車場のよう。縦列駐車の技術がないと住んでいけないみたい。僕にはとてもその技術はないなあ。だって、下に書かれた線を見て愕然。こんな間隔だとタイヤが直角に曲がって車を真横に動かす事ができても前後を誰かに見ていて貰わないと駐車できないと思う。実際にはどうやっているんだろう?



ポンペイの遺跡。遠くにベスビオ火山が見える。この火山の噴火でポンペイの街は7mの火山灰の中に埋まってしまった。東京から見た富士山はもう少し遠いようだが、東京がポンペイの二の舞にならない保証はない。遺跡から出たすぐの所に朝顔が割いていた。季節外れ??



アルベロベッロはクリスマス一色。ある家の屋上に上がらせてもらった。屋根の上はこうなってるんだね。
ローマの自由行動は良かった。「真実の口」では手を持って行かれそうになりました。


ホテルの朝食バイキングでのヨーグルト。賞味期限が20.12.23とある。
          
えっ?!3年前に切れてるじゃん!違うのを持ってきたら今度は30.12.23。
          
ヨーグルトが7年も持つかいな。しかもどちらも12月23日?なんかおかしい。ああ、そうか!この表記はYY.MM.DDではなくDD.MM.YYで表記してあるんだね。








2023年12月12日火曜日

背水の陣

 林真理子さんは大丈夫なのだろうか。私ごときが心配する事ではないかも知れないが、大麻事件が発覚した8月の会見と、つい最近の記者会見の様子を見ているとひと事ながら心配でならない。

彼女が理事長に就任した時には、外部から新風を吹き込み、日大が新しく生まれ変わる事が期待された。しかし二つの会見での林理事長の受け答えは「関係者の皆様には多大なご迷惑をお掛けし・・・」とか「〇〇のためコメントは控えさせて頂きます」などのオンパレードで旧態然としたもの。これでは何のために林さんが理事長に就いたか分からないではないか。何かが変わった!と印象付けるためには、「細かい事は別にして、やっぱり大枠ではそうだよなあ」と周りの人が常識で納得できる明快性こそが必要だったのではないか。

そして何より心配なのは林さんに日大改革の具体的ビジョンが明確にイメージ出来ているかどうか怪しい点だ。先日の会見でも日大新聞の学生の「解決の糸口をどうお考えですか」との質問に対し、ただお詫びの言葉を繰り返すだけで、改革の結果としてどんな姿を目指すのか、そのためにどこからどう手を打っていくのかと言った事は全く聞かれなかった。

当初は周りの人を信頼し、専門家の人達が敷いた路線に従って行く方針で良かったのかも知れない。だが、全ての情報が正確に上がって来る事がない事が分かった8月の時点で覚悟を決めるべきだった。あの時なら「正確な情報が上がって来ないようでは責任を全うできない」と辞任する事も出来たろうが、今となっては全身全霊を懸けて改革に邁進するしかないだろう。いわば背水の陣を敷くしかなさそうだ。

24時間365日の全てを愛する日大に捧げる、くらいの覚悟がないと新たな展望は開けないのではないだろうか。

2023年12月5日火曜日

何もない

 7日間の戦闘休止が終わりまた憎悪と破壊が始まった。


空爆によってコンクリートが瓦礫と化し辺りに粉塵をまき散らす。その粉で髪を真っ白にした少女が大人に抱きかかえられながら泣き叫ぶ。中には粉塵で真っ白になった顔から血を流している幼児もいる。年端も行かない子供ならこの記憶はいつしか消えるのかも知れないが、小学校の高学年にもなれば敵国への憎悪が心に深く刻み込まれるであろう事は想像に難くない。そして彼等が成人になった時、その憎悪がどういう形で行動に現れるのか。ネタニヤフ首相はハマスの殲滅が目標だと言っているが、実際にやっているのは第二のハマス、第三のハマスを育てる事ではないかと思えてならない。

辺り一面瓦礫となった街中を背に、記者が「ここには水も電気もインターネットもありません」という。本当にそれが問題か。水を水道と読み替えれば、その三つは人類にとって百年前はどれもなかったものなのに。

私が物心ついた頃、流石に水道はあったが電気と言えば電燈の事だった。照明以外の電気設備と言えばラジオだけで、しかもその電源は天井からぶら下がった電燈のソケットから取っていた。壁に数か所のコンセントが出来て、何でも電気の力を借りなければ生活できなくなったのはつい最近の事だ。水道についても、母が生前言っていた事だが、人生で一番嬉しかったのは家に水道が付いて、毎朝井戸から水を汲んで台所の水瓶を一杯にする仕事から解放された事だと。それからまだ百年にもならない。

その後現地の人が泣き叫ぶように訴える様子が報道された。「家もない、シェルターも服もない。食べる物も水も何もないんだ」それこそ実際に苦しむ人の声だった。外からやってきて、自分の仕事の不便さに関心が行っている記者の甘さを感じてしまう。

2023年11月28日火曜日

将棋と音楽

 最近では「観る将」と称して将棋を指す事以外の形で楽しむ人達が増えているらしい。だが私の知る範囲では、それはタイトル戦で棋士がおやつに何を食べたとか、昼食のメニューは何であったか、などに注目が集まるような、そんな将棋の本質とは無縁な所への関心で支えられているようだ。まるで音楽に関して演奏家の服装がどうであったか等に注目するかのように。これでは将棋ファン・音楽ファンというより料理ファン・服飾ファンというべきだろう。

勿論料理にも服飾にも素晴らしい要素があるから、それに感動する人がいても不思議ではないが、将棋ファンというからには将棋そのものの素晴らしさに感動する人であって欲しい。音楽の本質が音の流れにあるように将棋の本質は指し手の流れにある。そしてそれは棋譜に記録される。しかし☖4四銀☗2四歩☖同歩☗同飛☖2三歩・・・などと書かれた記号を見て感動出来るのは余程の熟練者でないと無理だろう。楽譜を見ただけで「これは名曲だ!」と感動するのが至難の技であるように。

楽譜だけからでは味わえない感動をもたらしてくれるのは演奏だが、将棋でそれに相当するのが解説だ。かつては大盤解説場まで足を運ばないと聞けなかった解説が今ではYouTubeで手軽に聞ける。かつて高い料金を払ってコンサートに行くしかなかった音楽がレコードやCDで手軽に聞けるようになったように。

そして音楽では演奏家が曲の解釈を巡って作曲家同様に独自性と創造性を発揮し「モーツァルトの40番はブルーノ・ワルターだよね」「いや僕はカール・ベームの方が好きだな」なんて会話が成立する。将棋においてもYouTuber達が解説の巧拙を競い合いその独創性を評価されるようになったら将棋鑑賞も趣味として一人前になるだろう。

2023年11月21日火曜日

将棋鑑賞

 月刊誌「将棋世界」の12月号は藤井八冠誕生を特集し、ベテラン棋士のコメント等が掲載されたが、その中で谷川十七世名人のコメントが1017日の当コラムで書いた事とそっくりで大変嬉しかった。以下に引用するので対照してみて欲しい。

「最後の逆転には驚きました。第3局も逆転でしたが、あの将棋は永瀬王座が正解手を指しても、まだ難しいところがあった。でも、第4局に関してはもう難しいところがなかった。ちょっと信じられない逆転です。それは、それまでの難しい局面の中、永瀬さんがずっと受け続けていた技術的なプレッシャーのせいだと思います。勝ちになってから藤井さんがずっと下を向いていたのが印象的でした。藤井さんにとっては、不本意な勝ち方だったのだと思う。それが、局後の「まだまだ実力が足りない」というコメントにつながったのだと思います。」

王座戦第3局も第4局も大逆転だったが、その意味合いはだいぶ違う事、第4局の最後藤井がずっと申し訳なさそうな様子だった事、永世名人が私と同じ所を見ていたなんて、とても誇らしく思った。

私自身、残念ながら棋力の方は左程自慢するほどではないのだが、将棋を鑑賞、評価する能力については少し自信がついた。「趣味は将棋です」と言えば多くの場合将棋を指す事であって、棋力は如何ほどかと聞き返される事が多い。しかし「音楽が趣味です」と言った場合実技より鑑賞に重点があり、「楽器は何をやりますか」という質問より「どんなジャンルが好きですか」とか「作曲家は誰が好きですか」という質問の方が自然の様に思う。

将棋を指すのは楽器を演奏するように難しいが、名曲を楽しむ様に、名局を楽しむ事は比較的簡単だ。将棋鑑賞が趣味としてもっと定着すればプロ棋士にも励みになるだろう。



2023年11月20日月曜日

 

エリザベス女王の国葬の時の隊列はこんなだったの❓こんなの、もし北朝鮮だったら全員死刑だよね。やっぱイギリスは良い国かな❓

2023年11月14日火曜日

外相会合

 G7外相会合が東京で行われた。一列に並んだ記念撮影には女性が4人、男性が4人。外相という重要ポストも遂に男女同数になったのかとの感慨と同時にG7なのにどうして8人?との違和感を持った方はいないだろうか。プラス1EUからの代表がいるからだが、その正当性はあるのだろうか。



本文記事を読んでも七つの国の思惑や立場の説明はあるが、EUとしての意見は書かれていない。軍隊も持たなければ、恐らく独自の予算もなく自らの意思で財政援助を出来るとも思えない。しかもEUの閣僚は選挙の洗礼を受けていない。そんな立場で一体どんな責任と役割が果たせるのか。

彼等要人の事だ、ホテルは超一流の最高額の部屋に泊るだろうし、三度の食事も庶民には垂涎のものが毎食提供されているのだろう。その費用は誰が負担しているのか。各自自前なら良いが、恐らく招待国の我々の税金が使われている。七つの国から来た人の費用は逆に日本の大臣がその国主催の時にはお世話になるからツーペイで良いのだろうが、EUだけはいつもお客さんで招待する立場になる事がない。彼等の費用だけはEUに請求書を回したい。

そもそも西欧こそが正義を代表しているかのような顔をして平然としているのが気に喰わない。ロシアがウクライナに侵攻した時には「力による現状変更は許さない」などと息巻いていたが、ちょっと前にパレスチナの地にイスラエルという新しい国を作ると言う、まさに力による現状変更をやったのはどこのどいつだ。

9月末の国連総会の一般演説でインドのジャイシャンカル外相は「一部の国が指針を決め、他国がそれに従うことを期待する時代は終わった」と言った。まさにその通りだと思う。この人、奥さんは日本人だとか。

G7EUの代表を呼ぶくらいなら、国連の代表を呼んだらどうか。

2023年11月7日火曜日

独楽吟

  たのしみは空暖かにうち晴れし春秋の日に出でありくとき


11月だというのに先日のテニスではメンバーの多くが半袖半ズボンのいで立ちだった。歴史的な暖かさだそうだが、風は爽やかだし、日陰に入れば十分に涼を取れる。運動不足を実感した時など、用はなくとも辺りを一回りして来ようかという気持ちにもなって来る。

巻頭の歌は橘曙覧(たちばなあけみ)という歌人・国学者の作で、「たのしみは」で始まり「とき」で終わる「独楽吟」と総称される52首の連作の中の一首である。橘曙覧は江戸後期に今の福井市に生まれ、本居宣長の流れを汲む国学者として勤王の志を持っていた。時の藩主、松平春嶽に見いだされ出仕して古典を講義するよう勧められるが固辞し清貧を貫いた。その貧しい様子は

たのしみは銭なくなりてわびをるに人の来たりて銭くれしとき

たのしみはまれに魚烹て児等皆がうましうましといひて食ふとき

などの歌に見られる。魚も滅多に買えなかったらしい。

明治に入って正岡子規は曙覧を絶賛し、「実朝以降たった一人の歌人」と言ったとか。しかしあまりにも国粋主義的な傾向からその後しばらく忘れ去られるが、再び脚光を浴びるのは平成六年、天皇訪米の際クリントン大統領が独楽吟の中の一首を持ち出した時だった。

 たのしみは朝おきいでて昨日まで無かりし花の咲ける見る時とき

曙覧が生まれ生涯を暮らした福井市には現在「橘曙覧記念文学館」がある。実は二か月程前、埼玉から出雲に帰る途中福井を経由したのだが、その時はその存在を知らなかった。知っていれば必ず立ち寄ったのに。事前に福井県の東京事務所から観光資料を取り寄せていたのだが、その中には橘曙覧記念文学館の記述を発見できなかった。なんとも残念。

福井をあげてもっともっと自慢して欲しかった。

2023年10月31日火曜日

友愛と正義

 NHKの「百分で名著」はアリストテレスのニコマコス倫理学を取り上げ、彼の「友愛」に関する考え方を紹介していた。曰く「友愛があれば、正義をことさら必要としない。」

その二週間程前には同じくNHKの「映像の世紀・バタフライエフェクト」で第一次大戦前のパレスチナの様子が描かれ、そこではアラブ人家族の結婚式に隣人のユダヤ人が招かれ、共に祝宴を楽しむ等、仲睦まじく暮らす様が映し出された。そして今、アラブ人とユダヤ人のかつての友愛は壊され、互いが自らの正義を主張し合う悲劇が繰り返されている。

「映像の世紀」のタイトルは「砂漠の英雄と百年の悲劇」だった。砂漠の英雄とはアラビアのロレンス、百年の悲劇とは彼がエージェントとして仕えたイギリス政府の三枚舌外交が原因で生まれたパレスチナの悲劇を言っている。

第一次大戦前、パレスチナの地を統治していたオスマン帝国は多民族国家で、宗教にも寛容な政策を取っていた。その帝国を倒すため、イギリスは域内に住むアラブ人やユダヤ人に反乱を呼び掛ける。反乱の報酬としてアラブ人にはアラブ人の国を約束し、ユダヤ人にはユダヤ人の国を約束し、その上にあろうことかフランスとは英仏による分割を協議していたと言うから開いた口が塞がらない。アングロサクソン人には「至誠に悖るなかりしか」という発想がないらしい。尤も当のロレンスは自分がアラブ人達を騙す事になったのを恥じ、国家からの叙勲を辞退したそうではあるが。

それにしても「正義」とは何と空虚な言葉だろう。戦争はいつも双方の正義の御旗の元戦われるが、それは結局武力に勝る側の冠に過ぎず、その下には醜い欲望が隠れている。パレスチナの友愛を壊したイギリスが今更人道や正義を振りかざすのも見ていて虚しい。

2023年10月24日火曜日

マイナンバー

 「忖度」という言葉の印象を一変させる程政治家の思惑に敏感だったはずの官僚達だが、マイナバーカードの普及に関しては一向に忖度しないのは何故だろう。

先日戸籍謄本が必要になって出雲市に取り寄せを打診した。恥ずかしながら二万円のマイナポイントに釣られてマイナンバーカードを作った所だったので、これを利用して便利に受け取れるかもと期待していたが、マイナンバーカードは一切役に立たないらしい。これには驚いた。

我が住む幸手市はどうだろうかと、市役所へ行ったついでに「マイナポータルについて教えてください」と窓口で問い合わせてみたら、別件で対応してくれていた女性は「ええっと、それは・・・」とマイナポータルについては殆ど何も知らない様子。別の所員も不如意のようで、結局「詳しい者を呼んできますのでしばらくお待ちください」となった。

数分待たされて呼び出された窓口に行くと、ITに詳しそうな若い男性が待っていた。そこで渡されたA4一枚の紙に驚いた。何十回もコピーを繰り返したような紙で、恐らく元は三つ折りに畳んだ小綺麗なパンフレットだったのだろうが、今はもう細かい字は潰れて読めない。元のパンフレットは印刷部数をケチったのか、もうなくなったという。件の男性職員も左程詳しい訳でもなく、こちらの基礎的な質問にすぐに「うーん」と考え込んでしまう。操作マニュアルらしき冊子を繰りながら説明してくれるのだが、要領を得ないので、その冊子を見せてくれと頼むと、見せる訳にはいかないと拒否された。

こうした事情を総合して結論した。政府はマイナンバーカードの普及を声高に吹聴しているが、本音ではそんなにやる気はないのだ、と。さもなければ忖度文化の徹底している組織の末端がこんな為体(ていたらく)な筈がない。

2023年10月17日火曜日

藤井八冠

 過去何回藤井将棋をこのコラムで取り上げてきた事だろう。気鋭の新人として注目され始めた時、29連勝を達成した時、初タイトルを獲得した時、名人獲得の最年少記録を更新した時など、数えてみたら彼を主人公にした回だけで9回あった。その都度藤井将棋の素晴らしさを称賛してきたのだが、今回の王座戦第四局は若干趣が違った。

将棋界の全冠制覇という偉業を見届けたいと、実況放送に見入った。見始めた頃は64くらいで永瀬有利だったが、次第に藤井が押し返し逆に73で藤井優位になったかと思えば若干の緩手が出て再び永瀬優位に傾き、ついには永瀬の勝利確率99%にまでなって解説者も永瀬勝利を確信するに至った。その時たった一手の間違いで大逆転が起き、その後は素人でも分かる簡単な手順で藤井が八冠達成の勝利を手繰り寄せた。投了は丁度9時ちょっと前で、NHKのニュースは早速この勝利を速報したのだった。

最後の間違いから終局までの数手の間、自分のミスに気づいた永瀬は頭を掻きむしり、両手でゲンコツを作ったり、落ち着かない仕草を何度も見せた。一方の藤井は申し訳なさそうに下をうつむき、実に静かな手つきで着手を続けた。

この前の王座戦第三局も永瀬の勝利確率9割以上の状態からの大逆転だったが、この時は永瀬のミスというよりも、読みの深さの違いが出た結果のように思えた。藤井将棋の本領はその圧倒的な読みの深さからくる感動にあるのだから、相手のミスで勝つような勝ち方は出来ればして欲しくない。谷川将棋なら相手の勝利確率が99%になれば、自分の首を差し出し、相手のより美しい勝利を演出するような手を選んだのだろうが、藤井は「どうぞ詰まして下さい。この詰将棋解けますか」と問いかけた。内心は永瀬に解いて欲しかったに違いない。

2023年10月10日火曜日

平和

 ナゴルノ・カラバフを巡るアゼルバイジャンとの紛争でアルメニア政府はたった一日で事実上の降伏をした。

アルメニアの名前が最初に強く印象に残ったのはイスラエルを旅行した時だった。ご存知のようにエルサレムはユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三つの大きな宗教が聖地としている場所である。それは一体どんな所か自分の眼で確かめたくて現地を訪れ初めて知ったのだが、エルサレムの旧市街はパイを4等分したように四つの街区に分かれている。四つの内、三つはユダヤ教、キリスト教、イスラム教に関係するものだとは容易に想像がつくが、最後の一つがなんとアルメニア街区なのだ。アルメニアは世界で初めてキリスト教を国教とした国という栄誉を持っており、それが関係しているのだろう。

そうした歴史を持つアルメニア政府は一日で停戦、つまり平和の道を選んだ。敵国アゼルバイジャンはカスピ海で取れる原油の上がりで軍備を増強し、アルメニアとの軍事力の差は十倍以上にも開いたという。戦っても勝てる見込みがないので降伏もやむなしとの判断だったのだろうが、それが国民には不満らしい。現政権打倒を叫んで町に繰り出している人々は、戦争を続けて自分等の町が空襲で焼け野原になっても良いと思っているのだろうか。

同じ構図で、昭和初期日本の指導者達がアメリカの要求を受け入れる形で戦争を避け、平和の道を選んでいたら、国民からどういう評価を得ていただろう。「確かに国力や軍事力に大きな差はあっても、負けると決まった訳ではない。あれだけ差のあったロシアにだって勝ったし、やってみなきゃ分からないだろう」と弱腰を批難され、国賊呼ばわりされたかも知れない。

平和を実現するには国賊になるリスクを負わねばならないという事か。

2023年10月3日火曜日

選良

 先日は「公僕」という言葉が死語になるのを心配したが、「選良」という言葉も死語になってしまうのか。

辞書によれば「選ばれたすぐれた人。特に、選挙によって選び出された代議士のこと。」とあるが、国会議員の中に市会議員を公設秘書として採用し給料の二重取りとの批判を受ける人がいたり、議員でなくなった時に返却すべき議員バッジをちょろまかしたりする県会議員がいると情けなくなってしまう。人様から借りたものはちゃんと返す、というのが当たり前だし、もしそれを失くせば賠償するのは特段すぐれた人でなくても当然やる事だと思うのだが、それすらしないらしい。

市会議員と公設秘書の兼務を禁止する法律を作ろうと提案する政党もあるらしいが、そんな事はわざわざ法律で禁止しないといけない事なのか。常識としてそんな事をやってはいけないと自制が効かないなんて「選良」の言葉が泣く。ある人は、人を殺してはいけない事は常識で分かっていても法律にはちゃんと殺人罪が明記してあるではないかと仰るかも知れない。だがそれは禁止する事に主眼があるのではなく、事前に刑罰を決めておく事に意味がありそうだ。

三重県議会基本条例ではわざわざ「議員は、県民の負託にこたえるため、高い倫理的義務が課せられていることを自覚し、県民の代表として良心と責任感を持って、議員の品位を保持し、識見を養うよう努めなければならない」とあるようだ。小学生に「清く、正しく、美しく」と説教するのは、今後どのように育つか分からない無限の可能性を秘めている子供達を良い方向に導くためだが、もう立派な大人になっで是非の判断も出来る筈の人達に向かって改めて品行方正を説かねばならないなんて、なんとも悲しくないか。

2023年9月26日火曜日

授乳

 帰省してローカルニュースを楽しんでいる。

先日は宍道湖畔の道の駅に授乳用のブースが設けられた事が話題になっていた。人目を避けて安心して授乳できるよう、段ボールを組み立てた公衆電話ボックス程度の大きさの囲いが二つ設置されていた。それに対し「良くなった」と素直に喜ぶ人、「天井がない」「入口がカーテン一枚なのは不安だ」などと更なる改善を求めて不満を漏らす人、様々だった。

思い起こせば、この湖北線沿いの道の駅は、八年前娘がやって来た時に生後六か月の息子に授乳した場所だった。当時は当然そんな立派なブースなどなく、一般の客が往来するロビーで首から下をマントのような黒い布で覆って胸元を隠して乳を吸わせていたのを思い出す。乳を飲む側からすれば、そんな暗がりで飲むより白日の下で堂々と飲んだ方が余程気持ち良かったに違いない。

そもそも昔の女性は授乳の際に乳房をさらけ出す事に左程ためらいを感じていなかったように思う。50年前なら駅の待合室や電車の中で堂々と幼児に乳を飲ませる女性はザラにいた。日本だけでなく海外でも似た経験があって、30余年前、スタンフォード大学の夏季講習を受けているとき、隣に座っていたフランスから来た女性が授乳を始めたのには驚いた。ロの字に座って何らかのディカッションをしていたと記憶するが、相対する正面に席を取れば良かったと後悔した事を思い出す。

性に関する規範は文明の度合いが進むほど厳格化するものなのだろうか。中国の田舎に行くと、今でも用を足すのがあけっぴろげで、安心して排便も出来ない事がある。文明の進化と性規範の厳格化には正の相関がありそうに思えるが、しかし女性の水着はどんどん大胆かつ奔放なものになっている。これはどう説明すればよいのか考え込んでしまう。

2023年9月23日土曜日

塩カマ神社

 ナビの目的地に「シオガマジンジャ」で検索すると全国各地にその名が見えるが、島根県では出てこない。でもちゃんとありますよ。車で通りかかると見逃がしてしまいそうな小さな看板があった。


近くに路駐して横の細い道を登っていくと大きな岩が複雑に絡んでいるのが見える。




こんな場所にどうしてこんな大きな岩があるのだろう。大山の噴火で飛んで来たのか。古代の人がその不思議に神を感じたのは想像に難くない。


岩と岩の小さな隙間をくぐっていくと小さな社が鎮座していた。




地元の人は「シオガマさん」と言って崇めているとの事。

2023年9月19日火曜日

原子の数

 よっこらしょと一息ついて大きく深呼吸した1リットルの空気の中に、あの憎っくきプーチン大統領の吐いた息の分子が1万個も含まれているとしたらどうだろうか。プーチンの息という汚染物質を1万ベクレルも含む空気を吸うなんて、安心して息もできないと思われるに違いない。残念ながらこれは事実で、この例は原子・分子の数の多さを実感するための例として良く引き合いに出される。物理学を志す学生にはアインシュタインの息が、また場合によってはマリリン・モンローの吐いた息が例として使われたりする。

ChatGPTに聞いてみたが、一回の深呼吸で吸う量は1リットル、人間が一日で呼吸する空気の量が12万リットル、地球全体の大気が4,200億立法㎞である由。それを元に、22.4リットルの空気の中に分子が6×1023乗個含まれている事を加味して計算すると、プーチン大統領がウクライナ侵攻を始めた去年の224日に吐いた息が、一年以上の期間で地球全体に拡散し、均質に混じりあったとして、右記の結果が得られる。それもたった一日の息で1万個だ。

放射性物質の量を表すベクレルという単位はまさにそんなレベルの話なのだ。ちなみに話題の処理水についてはトリチウムが12年半で半減する速度で放射性物質を出し、それが1秒間に10個測定されたという事は元のトリチウムは1リットルの中に10億個程度存在しているという事になる。

かほどに多い原子の数だが、93日付の読売新聞の編集手帳には「将棋の指し手は10200乗通りあり、宇宙の原子の数より多い」とあった。将棋ファンの一人としてその奥深さを喧伝して貰えるのは有難いけれど、にわかには信じ難い話。その検証はまた日を改めて行う事にしよう。

2023年9月15日金曜日

明通寺

 福井観光の最後は小浜の明通寺。本堂と三重の塔が国宝で、国宝の建築物は福井県内ではここだけだとか。拝観料500円を払って本堂の中でこの寺の由緒を聞く。本尊の薬師如来を正面にたった一人座り、堂内によく響く和尚さんの説明に聞き入った。






養浩館庭園

 福井市内にある養浩館庭園、福井藩主の別邸だったところらしいが、見ごたえ十分。建物の中に入る事が出来るのもありがたい。朝早い時間だったので、他に観光客も居らず、独り占め出来た事が一層好印象として残った。







2023年9月14日木曜日

平泉寺

 越前大野城のすぐ近くに(と言っても隣の市になるが)平泉寺白山神社というのがあった。義景はここの僧兵も味方につけたかったが残念ながら僧兵は信長に味方したとか。そして時代が下り、一向宗の門徒によって寺が焼かれたらしい。加賀の一向宗と言えば戦国大名のような勢力を持っていたというからさもありなんか。境内は静かで苔が美しい。何故か楠正成の墓があった。湊川の戦いで死んだはずの大楠公、どうしてこんなところに墓があるのだろう?朝倉氏は播磨の守護だった斯波氏に従って兵庫県から福井に引っ越して来たらしいからそんなことも関係しているのだろうか。





一乗谷朝倉遺跡

 一乗谷の朝倉氏の屋敷跡は庭園の石積みくらいしか残っていない。不思議に思ったのは義景の墓が一番目立っていたこと。朝倉氏は義景で絶えたはず。墓を作る子孫もいなかったはずで、どうしてその義景の墓が残っているのか?義景以前の当主の墓なら分かるが・・


また遺跡の一部に読めない字があった。これ、読める人いますか?フリガナをつけておいて欲しかったなあ。


一乗谷朝倉館跡

 福井と言えばまず一乗谷を思い出す。かつて朝倉氏が第二の京都を目指して街づくりを行った。昭和40年に農地改革で地面を掘り返したら遺跡が見つかり、今のように整備したとか。町人が住んでいた街区が少し復元されているが、その屋根の苔がすごかった。この家は平成7年に作ったものだとか。まだ30年も経っていない事になる。出雲大社は60年毎に屋根の葺き替えをしているが、前回の葺き替えの前、つまり60年経過した屋根はこんなに苔が生えていなかった。苔にも好みがあって、成長が早い場所と遅い場所があるのだろうか


越前大野城

 一乗谷朝倉館跡でガイドさんに聞いたのだが、朝倉義景は信長に敗れ、一乗谷城から越前大野城に逃れ、そこで一族の助けを借りて再起を図ったのだが、一族に裏切られ、そこで自刃したとか。越前大野城は今はコンクリートの城だが、解説によると元々の城は信長の家臣の金森長近が作ったものらしい。とすると朝倉義景の時には城といっても躑躅が館のような建物があっただけなのだろう。石垣は野面積みの古めかしいものだった。




北の庄城

 福井と言えば柴田勝家の北の庄城を思い起こすが、この跡地は今は柴田神社として残っているらしい。かつての石垣の跡とかがわずかに残っているがさみしい限り。うううん。お市の方もここで亡くなったのだなあ。




福井城

かつては越前松平藩の城として威容を誇っていたのだろうが、福井城はもう跡かたもなく、公園として公開されている。かつての本丸跡には県庁が立っていて、天守閣のあとは石垣が残るのみ。(登る階段が急だった)公園内に岡倉天心の銅像が立っていて、かれが福井出身である事を知ったのだが、岡倉天心よりずーーーっと立派な銅像はかつての福井市長をやった人のものだった。まあ、そんなものなのだろうね。








 

丸岡城

埼玉から出雲に帰りました。今回は色々荷物を運ぶ関係上、車での帰省。東海道や中央道を通るのはもう飽きたので今回はちょっと嗜好を加えて、埼玉から直接西に向かい、圏央道、関越、上越を経由して上田の手前で下の道に降り、松本から飛騨高山を抜けて、福井に泊まりました。そして以後日本海沿いに一路出雲へ。

距離も短いし、高速料金も格段に少ない。
ちょっと疲れるけど、途中適宜休憩場所を入れれば、このルートはおすすめかも。
まずは福井での城巡りの写真から
最初はなんといっても丸岡城。国宝指定を目指してるというだけあって、古い形態がそのまま残ってる。その代表が石の瓦。





2023年9月13日水曜日

風穴の里

松本を過ぎて飛騨高山に向かう途中、「風穴の里」という道の駅があったのでトイレ休憩に入った。風穴そのものは出雲の須佐にある方がずっと見ごたえがあるのだが、そこへ行く途中の太鼓橋などは結構見栄えがする。そして途中栗の実が沢山落ちていた。煮て食べる事が出来るのだろうか?普通の栗と違ってイガイガがないのが気になる。どなたか栗に詳しい方がいらしたら、これが食べられるものなのかどうか教えていただけたら嬉しいです。
また福井市内の養浩館庭園にも栗かどんぐりか知らないが沢山実が落ちていた。こちらはどうだろう?
後日分かった事だが、これは栗ではなく栃の実だという事。食べるにはあく抜きが大変で、相当の手間をかけないといけないようだ。










2023年9月12日火曜日

10ベクレル

 東電の福島第一原発からの処理水の海洋放出に関し、その観測値の少なさに疑問を感じ、ChatGPTに「東電福島原発の処理水放出で海水のトリチウム濃度が10ベクレル以下というのは本当ですか」と質問してみた。するとパソコンの画面がフリーズしたように止まり、しばらくして「申し訳ありませんが、私の知識は2021年9月までのものであり、それ以降の出来事についての情報は提供できません。したがって、当処理水に関する最新の情報については、公式な情報源や信頼性のある報道機関から最新情報をご確認いただくことをお勧めします。」との答えが返ってきた。

分からない事を知ったかぶりをするのではなく、正直に分からないと答えるなんて可愛い奴だと思いながら、では「ベクレルとは何か」とか、「トリチウムとは何か」とか個別に聞くとちゃんと答えてくれる。そういう個別の知識を総合して論理的な推理を加えて判断すれば何らかの評価が出来る筈なのにそれを怠り、とにかくネット上で観測値についてのコメントを探して見つからないので分からないと答えているだけなのだと思った。

原子・分子の数を表すはずのベクレル、本来なら10の何乗かが話題になってしかるべきなのに、それがたったの10とは!その余りの少なさに驚いたのだが、あくまでそれは1秒当たりに発生する放射の数を言っているのであり、元の物質の量や濃度を論じるにはその半減期が関係しているらしい。半減期が長い物質ならベクレルが小さくても濃度は高いし、逆なら濃度は引くい。また人体への影響は濃度だけでなく放射線のエネルギーも関係していて、10ベクレルだからどうのこうのとは言えないのだが、それにしても1リットルの中の10個という数値がどんなものか次回検証したい。

2023年9月5日火曜日

公僕

 週刊新潮831日号の「外務省がおもてなし『国会議員』夏の”外遊バカンス”に便宜供与」という記事には冷静でいられなかった。

議員が公務で外国を訪れる際の外務省(および現地公館)によるアテンドに関するルールに関し、オフィシャルには「便宜供与の対象を一週間前までに依頼のあった公務に限る」としながらも、別途作成したガイドラインでは「公務の合間の私用で、常識的な範囲ならOK」として、それが濫用につながっているとの事。「常識的な範囲」の常識が一般庶民と大いに異なるから、エッフェル塔の前でポーズを取ったり、公用車を使っての観光や土産の買い漁りをしたりするのである。

本来の仕事をしっかりやっての上ならそれも愛嬌だと笑って済ませられるが、「中国拘束2279日」という本を読んだら黙っていられなくなった。副題に「スパイにされた親中派日本人の記録」とあるように、些細な事でスパイの容疑を掛けられた著者が、強制連行され有罪判決を受け収監された時の様子が書かれている。そこに描かれる日本大使館の対応はひどい。

領事部長と一等書記官が面会には来たものの、日本人が不当な逮捕で困っているのにそれを助けようとする積極的姿勢が全く見られない。著者の「何という無責任、〇〇氏(本には実名あり)のこの誠意のなさには本当に呆れるばかりだった」という言葉に無念さが溢れている。

北朝鮮による拉致もそうだが、日本の公務員は議員の物見遊山対応には熱心でも自国民の保護には関心がないようだ。確かに大使館員にしてみたら、外国政府と面倒な交渉をするよりは、日本から来た議員に阿っている方が楽だろうし、出世にも有利なのだろう。しかし公務員の第一義は国民福祉にあるはず。このまま公僕という言葉を死語にしてしまって良いものだろうか。

2023年8月29日火曜日

學而不思則罔

 ChatGPTに次に質問したのは「モーツァルトの傑作は何ですか?」という問いで、その答えは以下の通りだった。

「モーツァルトは、多くの傑作を生み出した有名な作曲家です。その中でも特に著名な傑作をいくつか挙げてみましょう。交響曲第40番(G短調、KV 550: モーツァルトの交響曲の中でも特に有名で、情熱的で豊かな旋律が特徴です。」に始まり、クラリネット協奏曲、歌劇「魔笛」、ピアノ協奏曲第21番、弦楽四重奏曲第19番、レクイエム、を列挙した。流石に満遍なく広いジャンルから曲を選んでいるが、音楽ファンならこの答えにちょっと首を傾げたくなるだろう。

40番の交響曲が傑作であるのは間違いないが、それを「情熱的で豊かな」と表現する人はまずいない筈。むしろ哀愁に満ちた哀しげな旋律に魅力を感じている人が殆どだろうから。(他にピアノ協奏曲第21番の説明には「"エリーゼのために"としても知られ」などと誤りもあるがそれは御愛嬌か)この答えを見て思うのは知識としてモーツァルトの傑作が何かを知ってはいるが、それを実際に聴いた事もなければ、心を揺さぶられた事もないのだなという事だ。機械だから仕方ないとも言えるが、時々人間でもそういう人はいる。

色々沢山本を読んでいて知識は豊富なのだが、言ってる事が殆ど本の受売りで、自分自身の意見というものがはっきりしない。「で、君はどう思うの」と聞き返したくなる事もある。ChatGPTもその類なのではないか。

論語には「学びて思わざれば即ちくらし」とある。ChatGPTはまさにそれで、あちこちから情報を搔き集めるという「学ぶ」事は得意でも、「思う」事つまり自分で感じ考え感動する事は出来ない。ChatGPTと付き合う際にはその事をしっかり肝に銘じておくべきなのだ。

2023年8月22日火曜日

忖度

 数ある日本語の中で「忖度」ほど昨今ひどい扱いを受けている言葉はないだろう。モリカケ事件以来、「忖度」は悪事の代表のような言われ方をして、ビッグモーターを巡る不祥事でも「現場の社員が幹部を忖度したのが悪い」などと言われた。

広辞苑を引くと「忖度」とは「他人の心中をおしはかること」とあり、それが悪い事である筈がない。モリカケにしろ、ビッグモーターにしろ、上司の狙いを感じ取り、その方針に沿って事を進めるのは良いが、どこかで血迷って悪事を働いてしまった事こそが悪いのであって、「忖度」に罪はない。もし上司が言外に悪事を認めむしろ強要しているようであれば、教唆犯としてその責を問うべきであろう。

「忖度は日本語の美しい表現の一つであり、社会的な意識を持つ上で重要な概念として理解されています。ただし、必要な場面で適切な判断を下すことも重要であり、全ての状況において忖度が必要なわけではありません。」こう言っているのは誰でしょう。実は今をときめくChatGPTに「忖度について教えてください」と問いかけたら右記のような答えが返ってきた。実に的を得た答えではないか。続いて「この言葉は日本独特の文化的背景に由来しており、日本社会では他人との調和を大切にする傾向があります。そのため、忖度は良い意味での気遣いや思いやりとして認識される場面もありますが、一方で個人の意見や主張を押し隠すことによる問題点も指摘されることがあります。」として「忖度」が悪い方向に働く場合の例が示された。ここまでの答えが出せるなら、確かに学校のレポートに利用してみようと言う気になるのも分かる。

ChatGPT、お主やるなと思って次の質問をしてみたが、そこで馬脚を露したように感じた。(次回に続く)

2023年8月15日火曜日

熱中症

なんとも暑くてたまらない。タオルを片手に汗を拭きながら、なんとか薄着と扇風機で乗り切ろうとするが、流石にこの暑さではエアコンに助けを求めてしまう。テレビでも積極的な水分補給とエアコンの活用を呼び掛けているが、それも程度問題ではないだろうか。

ここ数か月悩まされている腰痛の治療に整形外科を訪ねた時の事。待合室での時間が苦痛だった。待ち時間の長さもさることながら、寒くてたまらないのである。今回は診察を諦めて出直そうかと思い始めた、その時に名前を呼ばれた。診察を終え、処方箋を持って少し離れた場所にある薬局のドアを開けると、そこはもう耐えられない程の寒さだった。処方箋を渡して「外で待ちます」と言い残し、幸い日陰に止めた車の中で薬が処方されるのを待った。

冷房の効き過ぎに悩まされたのは新幹線もそうで、出張などで利用する際には上着を必ず用意したものだ。冷房の必要性は認めるが、地球の温暖化を憂え、地球にやさしくと言うのならもっと控え目の温度設定にしたらどうか。エアコンは確かに室外機の内側に向かっては冷気を提供してくれるが、外に向かっては暖房をしている事を忘れてはならない。

内科の病院なら肌を露出する事に差し障りもあろうが、そうでなければ半袖半ズボンの軽装でちょうど良いくらいの温度設定とすべきではないだろうか。放送局でも温度は相当低いらしく、男性達は長袖のワイシャツの上に長袖の上着を羽織って汗一つかかずに平然としている。

ただでさえ太陽からの輻射による暑さで参っている地球に向けて我々はこれでもかとばかりに暖房の熱風を吹きかけている。地球にやさしくなどと口だけ親切そうにしている人類を、地球は恨んでいるに違いない。地球自体が熱中症になりはしないかと心配でたまらない。


2023年8月8日火曜日

浪曲

 「はだしのゲン」が広島市の平和教育の教材から削除されるそうだ。いつかは読みたいと思いつつも未読の「はだしのゲン」がどんな内容なのかも、それを教材として問題視する意見の概要も知らないが、NHKのクローズアップ現代の報道を見る限りでは色々問題がありそうだ。

既存教材の問題点を洗い出す検討会では全く話題にされなかったのに、それを踏まえて改訂版を検討する委員会でいきなり削除が決まった経緯の不透明さや、削除を決めた委員達の歯切れの悪さが印象に残った。決定に大義名分があるのならそれを堂々と主張すれば良いのに。

事の是非はともかく、浪曲が不当に扱われている事は残念だった。はだしのゲンが教材として不適である事の一つの理由が、中にゲンが浪曲をうなるシーンがあるからだ、と言うのだ。小学生に浪曲は理解できないから、というのだが、ならば浪曲をもっと教えれば良いではないか。浪曲は落語や講談とならぶ立派な日本文化の一つなのだから。

実は最近浪曲にはまっていて、図書館でCDを借りて来ては聴いている。その音楽性もなかなかのものだと思うし、七五調で語られる箴言めいた文句も面白い。

例えば「紺屋高尾」という演目には以下の台詞があった。「女郎の誠と卵の四角、あれば晦日に月が出る」現代人向けには「あれば西から日が昇る」とでも言うべきか。太陰暦で暮らしていた人々には晦日に月が出る事はそれくらいあり得ない事だった。

太陰暦時代の常識が分かれば、明智光秀が本能寺の変を決行したのが六月一日から二日にかけての深夜であったのは隠密行動を取るのに月明りが邪魔だったからだとか、赤穂浪士が吉良邸に討ち入ったのが十二月十四日であったのは逆に月明りが欲しかったからだという事も理解できるのに。

 

2023年8月5日土曜日

27年前

 WOWOWで放映していたので、トム・クルーズの「ザ・エージェント」を久しぶりに見ました。1996年の映画との事。それから27年の月日が流れ、色んな事が変わったんだなあと思った。

まず、ノートパソコン。エンブレムの文字(ここではSatellite Proとある)がパソコンを開いた状態だと逆さになっている。閉じた状態だとこれが普通と思っていて、たしかアップルが初めて開いている状態で天地が正しくなる方向でマークを印字した時にはそれを奇異に感じた記憶がある。今はそっちが主流。



電話は固定電話もまだ健在だし、携帯電話も大小色々出て来る。一番面白かったのは、トム・クルーズが誰かに電話する際、手帳で番号を確認してダイヤルしていた事。この頃の携帯は番号を記憶する機能はなかったんだなあ・・・