2015年12月29日火曜日

今年の一番

今年読んだ中で一番面白かった本。「ふしぎなキリスト教」橋爪大三郎・大澤真幸著 講談社現代新書。
某古本チェーン店の百円均一の棚で見つけ、かつて話題になった記憶もあって買い、しばらく積読状態だったが、読み始めるとこれが面白い。一神教についてこれほど明快に論理的に書かれると読んでいて気持ちが良い。「祈りとはGODとの不断のコミュニケーションだ」とか「日本は先進国の中で唯一いまだに多神教を信じている幸運な国だ」などハッとさせられる文章も出て来て、傍線を引いたり気の付いた事をメモ書きしたり、読みながら鉛筆が手離せない。
今年観た中で一番面白かった映画。「マダム・イン・ニューヨーク」ガウリ・シンディ監督シュリデヴィ主演2012年インド
インド映画と言えば「踊るマハラジャ」や「スラムドッグ・ミリオネア」を思い出すが、この映画はそれらを凌駕する。なんと言っても主演女優の美しさ。主演女優の容姿は映画の成否を決める。「めぐり逢い」のデボラ・カーにしろ、「カサブランカ」のイングリッド・バーグマンにしろ、あの美貌があればこその作品だと思う。
映画の内容は、英語を満足に話せないインド人女性がニューヨークに住む姪の結婚式に出席するため家族を残して一人渡米し引き起こす様々な出来事。言葉も出来ない純粋無垢な田舎者の女性が悪意の渦巻く大都会を一人歩いて大丈夫かとハラハラさせられるし、偶然出会った恋の行方にもハラハラさせられる。
インド映画お決まりのパターンで最後は踊りになるがその流れも自然で、エンディングでは色んな想いが混じったホロリとした気持ちを味わえる。そして人に接するときには誠意と敬意を忘れてはいけないよと諭してくれる。
では、皆様良いお年をお迎え下さい。

2015年12月22日火曜日

米大統領選

アメリカの大統領選挙が佳境を迎えつつある。民主党はどうやら候補者が決まったかのようだが、共和党はまだまだ一波乱も二波乱もあるだろう。候補者の顔ぶれを見て日本との政治の仕組みの違いをしみじみと感じる。
手元にあるのは今年九月の段階での候補者リストだが、その殆どが州知事か上院議員(元も含む)だ。実業家や学者はいるが下院議員は一人もいない。日本とアメリカの議会の仕組みを単純に比較する事はできないが、議員の選ばれ方から考えると上院は日本の参議院に、下院は衆議院に相当すると思われる。日本では政治のトップに立つ人はまず間違いなく衆議院から出るのだが、この違いは何だろう。
アメリカの政治について詳しく勉強した訳ではないが、付け刃的にネットで調べたところによると、上院は州の代表的な存在で主に外交など国家としての振る舞いに関しての役割を担い、下院は輿論に敏感な人民の院として予算など国内の問題に関しての役割を担っているようだ。だとすれば国を代表する大統領にはやはり上院の議員の方が向いているのだろう。
日本の場合民衆が政治家に期待しているのが主に地元への利益還元であったりするので、下院的な役割が重視されるというのは考えすぎだろうか。
州知事が大統領へのステップとして重要な地位を占めているのも興味深い。日本で県知事が総理大臣になったのは細川さんくらいのものか。考えてみれば明治維新の政府は鹿児島県と山口県の県政府が中心となって国全体を治めた構図になっている。地方自治での経験が役立ったことだろう。その点民主党の失敗は実際に政治の舵取りをした経験がなかった事が原因と思われる。自民党に替わり得る勢力を目指す野党の皆さんには一度地方自治を経験してみるのも良いのではないだろうか。

2015年12月15日火曜日

四ツ下がり

先週の土曜日曜は生憎の雨だったが月曜夕方には眉つきを眺めた方もいらしたのでは。もし四ツ下がりに眉月を見つけたら、それはノーベル賞ものの大発見となるでしょう。
四ツ下がりとは現代でいうと何時頃になるか。江戸時代の時刻の表し方は「暮れ六ツ時」というように数字で言う場合と、「子(ネ)の刻」というように十二支で言う場合とがある。「草木も眠る丑三ツ時」の「三ツ」は丑の刻を四等分した三番目という意味で、暮れ六ツという時の数字とは意味あいが違う。
現在は一日を二十四等分した時間を一時間としているが、江戸時代は一日を十二に分け、それを一刻(いっとき)としていた。歴史小説に出てくる一刻は今の約二時間にあたり、半刻が約一時間だという事は頭に入れておいて損はない。(ここで約とわざわざ断る理由は後程)
現代の真夜中十二時頃を子の刻として順次十二支を割り当てる呼び方が一つの方法。丑の刻は夜中の一時から三時頃に相当する。
数字で表す場合は真夜中の十二時を九ツとして順次八ツ七ツと下って、午前十時頃が四ツとなり、正午をまた九ツとして午後十時頃の夜四ツになって行く。現代人には違和感のある数え方だが、易の考えによるのだそうだ。
さて四ツ下がりだが、今で言う夜九時頃から十一時頃までの約二時間に相当する。現代の時刻表記とピタリ一致しないのは当時不定時法が使われていたからだ。つまり日出、日没を基準に時刻を割り当て、夏の昼の一刻は冬の昼の一刻より長いという仕組みだ。同じ四ツと言っても夏と冬とで時刻が違う。ある資料によると夏の四ツ下がりは23時頃、冬は22時半頃に相当するらしい。眉月はとっくに沈んでいる。
「お江戸日本橋七ツ立ち」というと夏なら朝の二時半、冬でも朝四時だ。高輪まで歩いた頃夜が明ける。昔の人は早起きだった。

2015年12月8日火曜日

眉月

浅田次郎氏には一年前にも御登場願った。その時は繁体字と簡体字に関する氏の見解に疑問を持ったのだが、今回は「憑神」という作品に表れた「南天に眉月のかかった暗い晩である」という記述に疑問を呈したい。これのどこがおかしいか、お分かり頂けるだろうか。
この作家は饒舌を身上に修飾の多い人だが上記の描写はちょっと筆がすべった。しばらく読み進むと「時刻は同じ四ツ下がりで、蒸し空には眉月がかかっていた」との記述が表れ、どうやら作者は天文が全く苦手らしい事が分かる。
地球は太陽の周りを、月は地球の周りを回っているが、月が東から昇って西に沈むのは地球の自転による現象だ。一方で月が満ち欠けするのは太陽と月と地球の位置関係による。
満月の時は太陽、地球、月の順にほぼ一直線になって、月は太陽光を満身に受けて光り、地球の自転に伴い太陽が西に沈む頃、東の空に昇ってくるように見える。まさに「菜の花や月は東に日は西に」の状態だ。それから一日当たり約十二度月は東に移動し、十五日後百八十度回り新月になると、太陽、月、地球という位置関係になり月は太陽の光が逆光になって見えないが太陽と一緒に東の空から西に移動している。
さて眉月はどうか。眉に似た月というからには月齢が二か三と見るべきだろう。その時月は太陽から二三十度程度東の位置にいる。すると月は日の出から二時間程度で東の空から昇り、日中は太陽の逆光で見えないが日が沈む頃から西の空に姿を現し、日が沈んで二時間もせずに月も沈んでしまう。だから真夜中に南天に眉月が見えるなんて事は天地がひっくり返らない限りあり得ない。無論四ツ下がりにも。
次の土曜日曜は晴れていれば夕方西の空に眉月が見えるはず。たまにはゆっくり夜空を見上げては如何。

2015年12月1日火曜日

マイナンバー

マイナンバーが我が家にもやって来た。早速通知カード部分を切り離し、クレジットカード等と一緒に鍵のかかるキャビネットに保管した。マイナンバーカードの申請が任意であるのはシステムの運用方法としてちょっと不思議な気がする。顔写真のないカードで個人認証ができるのだろうか。番号を見せるだけなら十二桁の番号を記憶して通知するのとなんら変わらず、なりすましを防止する事はできないと思うのだが、さてどうか。二年後には専用のサイトが開設され自分の番号の利用履歴を確認できるようになるとか。そうなるとまたそこにアクセスするパスワードが必要になってくるのだろう。
マイナンバーに暗証番号にパスワードにと暗号だらけの世の中だ。ネットは危険だが便利、その便利さを享受するための私なりの工夫を御紹介したい。銀行のネット取引や通信販売等に使っている暗証番号やパスワードの類を先日調べたらその数が百以上あった。大事をとってそれらに全部違う記号を割り当てている。当然全部は覚え切れないからメモに残しておくことになる。メモすると言っても他人が見ても分からないようにパスワードそのままを記すのでなく、たとえばMと書いて母の誕生日の四桁の数字を表すというような、自分は絶対忘れないが他人にはチンプンカンプンなカラクリを仕掛けておくのだ。
もちろんパソコンにパスワードを記憶させるような事はしない。パソコンの中身はいつも外から覗かれていると思った方が良い。面倒でも毎回入力する設定にしておき、さらに大事な取引をするときは最初はわざと違うパスワードを入力して、相手が「違いますよ」と言って初めて正式なものを入力する。フィッシング被害の防止策だ。
性悪説を前提としたネット社会での防衛手段の一例です。

2015年11月24日火曜日

権威

東京目白台にある細川家ゆかりの永青文庫で春画の展示会があるというので行ってきた。十八歳以下の方は入場出来ません、と大書してある入口のあたりから混雑が始まっている。中年の男性が鼻の下を長くして来るのは分かるが、総じて女性の方が多い印象で、立派なお召し物を身にまとい「ホ、ホ、ホ」と言う声が似合いそうな御婦人方の団体がいたりするのには違和感を禁じえなかった。
この展示会のチケットには「世界が、先に驚いた」とのキャッチコピーが載っている。そう、大英博物館で同様の展示会があり好評を得たというのが一つのうたい文句になっている。蓋し今回のこの人気ぶりもその権威によるところが大きいのだろう。
だがちょっと待って欲しい。英国人が日本の春画を見るときの思いと、我々が見るときの思いとでは随分違うのではないか。例えばマリー・アントワネットが輿入れの際マリア・テレジアから渡された夜の心得などがあったとして、それを日本で展示するのであれば異文化への興味と言った観点からの鑑賞も可能だろう。大英博物館が驚いたのはワビサビの日本文化との落差であって、「性器の大胆で生々しい表現の一方、毛筋や着物の文様など繊細な描写も見どころ」なんて事を彼の国の紳士淑女達も思ったかどうかはなはだ疑わしい。
権威が人を呼ぶ、といえば二年前直木賞を取った「ホテルローヤル」を思い出す。この本は北海道のある町のラブホテルを舞台に男女の秘め事を描いたものだが、作者の出身地である釧路でのサイン会には多くの御婦人が列をなした。下手をすれば教育委員会から有害図書の指定を受けてもおかしくないような内容なのに、小学生の子を持つお母さんが嬉々としてサインをねだる姿は異様としか思えなかった。
権威の前に自らの判断を放棄するのは民主主義を危うくする。それを肝に銘じたい。

2015年11月17日火曜日

報道

横浜のマンションの杭の施工不良に関する事件、下請の杭打ち業者だけが矢面に立たされ、どうして発注者や設計者や元請業者の取材がなされないのか不思議でしかたなかった。ようやく十一月十二日の新聞の片隅に「三井住友建設が謝罪」という小さな記事が出た。最初にこの事件が新聞紙上に出たのが十月十五日だから約一ヶ月たっての事だ。
そもそも施工品質に関し第一義的に責任を負うのが元請業者であるのは常識であるはずだし、事件の原因として、ボーリングなど事前調査に不備がなかったのか、設計や契約内容に瑕疵がなかったのか、そういったことを追求するのが報道機関としての役割ではないのか。
謝罪の会見が中間決算の発表の場を借りての事だったり、そこでの発言が「管理を日々行う過程で落ち度はなく、裏切られた」などと、自らの無能さ無責任さを認めるかのような元請会社の能天気さにも呆れるが、それを積極的に取材追及しない報道陣にも苦言を呈したい。
ミャンマーのアウン・サン・スー・チー氏に関してもようやく最近になって「政治手腕は未知数」などと若干否定的とも言える記事を目にするようになった。日本のマスコミは今まで軍事政権が悪玉で彼女が善玉であるという単純な構図で報道してきた。ネットで流れる情報を見ると、マスコミが意図的に隠蔽しているかのような話が沢山ある。
実際に彼女に接した人の話として「あれほど嫌味なおばさんはいない」とか、軍事政権が西欧など外国の影響を排除しようとする努力や、彼女がアメリカの傀儡である事を示す物証などが記事になる事はない、と言った話がネットには流れている。
どちらが正しいか半年もすれば明らかになるのだろうが、新聞はもっと的確かつ公平広範な視点で記事を作ってもらいたいものだ。

2015年11月10日火曜日

台湾人

シンガポールでの中国と台湾の首脳会談は歴史的握手として報じられた。そんな中、台湾で「貴方は中国人ですか台湾人ですか」とのアンケートが行われ、「台湾人であり、中国人ではない」と答える人が多数を占めたとあるニュース番組が伝えていた。それを見て五年前に福島は会津の近くにある大内宿での経験を思い出した。
三澤屋という老舗の蕎麦屋で名物の高遠蕎麦(会津でどうして高遠なのか、店の主人に聞いたがその謂われをここで書く余裕がない)を食べながら隣の夫婦の会話が気になった。中国語のようであり、どうもちょっと違う。朝鮮語でないのは明らかだ。顔つきは東アジアの顔に間違いない。思い切って覚えたばかりの中国語で話しかけて見た。「ニンシー チュンゴォレン マ」(貴方は中国人ですか?)すると驚いたような戸惑いを見せた後、しばらくの間をおいてゆっくりと明確な答えが返って来た。「ブー シー」(違います)
以下ブロークンな英語で情報交換した内容は、彼等は香港からやって来て、彼等が話していたのは広東語だ、との事。日本で教えられている北京語と広東語とは大きく違う。例えば「玉木」は北京語では「イームー」と発音するが、広東語では「ヨッモッ」だとか。ギョクモクは広東語に近い。
香港人の中にも自分を中国人とは思って欲しくない人がいるらしい。台湾に関しては三十年程前の驚きが忘れられない。
台湾の友人に招かれて台北を訪問し彼の家族と会食をした。その中で彼の姉が盛んに「私たち」という言葉を使う。戦前の生まれとおぼしき彼女は日本語を流暢に話した。文脈からどうも良く理解できないので「私たちってどういう意味ですか」と尋ねると彼女は憤慨したようにこう言い放ったのだった。
「何言ってるの、私たち日本人のことよ!」

2015年11月3日火曜日

杭打ち工事

横浜のマンションで起きた偽装事件、マスコミはすべて「杭打ち工事」とか「杭を打つ」という表現を当たり前のように使っている。そう、元々杭は「打つ」ものであって「挿し込む」ものではなかった。もし従来どおり杭を打っていたなら今回のような問題は起きなかったのではないだろうか。
かつて杭打ち工事は建築工事の象徴的存在で、「カーン、カーン」と杭を打つ音が空き地に響くといずれその辺りの風景が一変するだろう事を予測させた。だがその音はいつしか騒音公害の代表となり、音のしない工法が開発され今日に到っている。
それでも最後は杭が支持層に達した事を確認するため杭の頭を叩くものだと思っていた。音を嫌うなら上からジャッキで押す方法もある。もし上から加力してまだズブズブ沈み込むような状態だったら、いくらなんでもそこで止める事はしなかっただろう。それとも所定の長さの杭を布設すれば良いという契約だったのか。そうならボーリング調査の不備、設計や契約の瑕疵が問題にされなければならない。いずれにしろ発注者や設計者、元請が出て来て真相を明かすべきだ。
現場管理者が責められるべきは書類の偽装もさることながら、支持力の最終確認を怠った事で、即物的に実態を確認する事より、書類の整合性を重視するのは官僚主義の弊害だ。
姉歯の耐震偽装事件以来、関連法規が強化され管理者が処理しなければならない事務作業が大幅に増えたそうだ。そのため元請の社員が書類作りに忙殺され、本来行うべき現場の巡視に時間が取れないという事態もあるらしい。
今回の事件でまた監視と規制が強化されるのだろう。そして一層管理のための書類が増え、本来の実態管理がおろそかになってしまう事を危惧する。

2015年10月27日火曜日

賭博

巨人の選手三人が野球賭博に係わったとして大きく報道された。NHKは夜七時のニュースのトップで扱った。この事件がこんなに大きく扱われるのが不思議だった。
ニュースを詳細に追跡したわけではないが、三人が自分の賭けが有利になるように八百長をしたわけではなさそうだ。出場機会も少ない選手だからしようと思っても出来なかったのかも知れないが。野球と言う自分の職業を賭けの対象にする事がけしからん、という事か。ならばもしサッカーJリーグの選手がTOTOの籤を買ったらどうなのだろうか。その時も今回のような大騒ぎが起きるのだろうか。胴元を国家がやっているなら良いが、暴力団のような反社会的グループが胴元を務める賭け事はけしからん、という事なのか。
そもそも賭博は刑法で禁止されていて第百八十五条に「偶然ノ輸贏ニ関シ財物ヲ以ッテ博戯又ハ賭事ヲ為シタル者ハ」罰するとある。輸贏などと難しい言葉が使われているが要するに勝負事。だから本来ならTOTOや競馬も犯罪で文科省や農水省は罰せられなければいけないはず。
そんな事を言ったら刑法の第百八十七条には「富籤ヲ発売シタル者ハ」罰するとあり、宝くじを発売している国や地方自治体は刑法違反をしている事になる。
刑法が禁じていることでも国がやれば許容される事の最たるものが殺人だろう。賭博や富籤は大目に見ても、殺人だけはたとえ国であっても許せないと言う人が多いに違いない。だから戦争は絶対反対。だけど死刑はどうか。死刑廃止論者の根拠が国家による殺人を否定するからなのだが、どうも難しい問題だ。
(宝くじは正式には「当せん金付証票」と言って富籤とは違うそうです。「当せん」を漢字で書くと「当籤」だが、「当選」と間違えて貰うため敢えて漢字にしないのでしょう。)

2015年10月20日火曜日

面倒くさい

財務大臣が軽減税率の導入を「面倒くさい」と仰る。思わず我が耳を疑ってしまう。
財務省の役人の気持ちを代弁しての事だろうか。そもそも財務大臣は財務省という会社の社長に相当する。社員が面倒くさいと思っている事を社長が代弁して顧客に向かって発言したらどうなるのだろう。例えば建設会社の社長が「構造計算は面倒くさいんですよ」と言ったら?確かに構造計算は面倒くさい。一つ一つの部屋の使い方に応じた荷重を算定して、地震の時はどんな力がかかるか、台風の時はどうか、多雪地帯なら大雪の荷重はどの程度になるのかを全て計算して、それに耐えるだけの強度をもった部材を設計していく。それらの作業が面倒くさいから経験値と目分量で柱の太さを決めました、という社長がいたらその会社に建物を発注する人がいるだろうか。財務省に競争原理のない事が問題だが、それについてはまた別の機会に。
大臣の役割は役人の声を代弁する事でなく、国民の声を背景に役人を指導監督し、時には叱咤する事ではないか。かつて役人を敵に回して失敗した大臣もいた。当然両者に信頼関係は必要だ。社員を信頼しない社長がいたらその会社はいずれ駄目になるだろう。しかし信頼関係と甘えの構図は別問題のはず。信頼関係があればこそ叱咤激励もできようというものだ。
同じ日の新聞の読者投書欄にゴミ置き場のカラス対策についての投書があった。生ゴミを牛乳パックに入れたり、袋を二重にしたりしてカラスがゴミをつつけない工夫を見て「ちょっと面倒くさいけど私も工夫してゴミを出すようになった。」と結んである。
面倒くささに負けそうになったら、細部まで手を抜かずに緻密に描く画風の山口晃の作品でも見て、再度自分を奮い立たせるのも一つの方法だろう。

2015年10月13日火曜日

続政治家とモラル

前回のコラムで誤解があるといけないのだが、決してモラルを軽視しているわけではなく政治家にとってモラルも大事だがそれ以上に能力と情熱を問題にすべきだと言いたい。
そもそもモラルは政敵を貶めるためによく持ち出されるもので注意を要す。田沼意次の悪評もその政敵である松平定信らによって捏造された可能性を否定できない。田沼の実像はもっと清廉なものではなかったかというテーマで山本周五郎は「栄花物語」を書いた。
田沼と定信の関係は有能な成り上がり者を既存勢力が妬み追い落としを図るという構図で、菅原道真と藤原時平の関係に似ている。道真の場合はその没後に起きた天変地異が彼の祟りだと恐れられ鎮魂のために天神様に祭り上げられたが、田沼はその在任中に天候不順を原因とする天明の大飢饉が起きたため名誉を失ってしまった。天変地異のタイミングがずれていたら、ひょっとしたら菅原道真もひどい汚名を着せられてしまったかも知れない。
中国では易姓革命を正当化するため前王朝の最後の皇帝はいつも悪者に仕立て上げられる。夏の桀王しかり、殷の紂王しかり、隋の煬帝しかり。流石に皇帝ともなると賄賂ではなく、荒淫が持ち出されるのが常だ。後宮に何千人も女を囲って毎晩一人ずつ訪ねて回った、などと。だがこれは間違いなくウソだと思う。もし本当にそんなに多数の女性がいたのなら、大広間に全員を集めて、一番綺麗で気立ての良い女性を選んで、毎晩その人と一緒に過ごしたいと思うだろう。玄宗皇帝が楊貴妃を愛したように。それとも贅沢が過ぎると「明日はどんな人かなあ」と思いながら気もそぞろにスリルを楽しみたくなるものなのだろうか。
先日亡くなった落語家、入船亭扇橋の句「しあはせは玉葱の芽のうすみどり」こんな世界が僕は好きだなあ。

2015年9月29日火曜日

「が」と「は」

先週「が」が目に付いてしようがないと苦情を呈して数日後、フィリピンで誘拐事件が発生し邦人を含む複数の被害者が出たとのニュースがあった。テレビ画面には「ノルウェー人二人、スェーデン人二人、フィリピン人女性が誘拐」のテロップが流れ、「ああもう犯人が捕まったのか、それにしても変な犯行グループだな」と思ってしまったが、これも最後に「された」が省略されたものだった。こういう表現は誰もおかしいと思わないのだろうか。どうしても「が」を使いたければ「・・が受難」とでも言ってくれるとありがたいが。
「が」ではなく「は」を使ったらどうか。「・・は誘拐」。これだと、複数の被害者がいて全貌は未だ明らかになってはいないが、少なくともこの数人は誘拐された、というニュアンスが伝わる。たった一文字の違いでこれだけの背景情報を伝達できるのだから日本語は素晴らしいではないか。もっとも同じような事は英語でもあるらしい。
日本語での「が」と「は」の違いは英語では「a」と「the」の違いに相当する、という説がある。昔話の書き出しを思い出したらいい。「昔々ある所におじいさんとおばあさんがいました。ある日おじいさんは・・」とまず「が」で紹介し、次に「は」で行動を記述する。同じように英語でも最初に出てくるときは「a man」だが、話題の主が明確になった時点で「the man」を使う。これが逆になると読み手は混乱する。
「オリンピックで日本選手は優勝したよ」といきなり言われると、「えっ、一体誰のこと?」と聞き返したくなる。同じ事が英語でいきなり「the」を使ったときの感じらしい。
数回前「阿波踊り」の稿で「阿呆である事は」にすべきか「阿呆である事が」にすべきか大変悩んだ。今でもどちらが適切なのかよく分からない。

2015年9月22日火曜日

「が」の氾濫

最近テレビや新聞の見出しでの「が」の氾濫は目に余る。しかもその多くが用法を誤っている。
例えば「上海臨時政府庁舎が一般公開」、しばらく前には「ムバラク大統領の息子が解放」なども。皆様はこれをどう読まれるか。私には最初の例で言えば「上海臨時政府庁舎というのが既存であって、そこが何かの資料を一般公開した」と聞えるし、二番目の例では「ムバラク大統領の息子が何かの権限を持っていて誰かを解放した」としか理解できない。実際は二つの例とも最後に「された」を省略した表現なのだ。
そもそも日本語には受身形はあまり似合わない。百人一首を調べてみたが受身形は一つもない。「衣干すてふ天の香具山」という歌も現代語訳では「衣が干されている」と受身で紹介されるが元の歌は能動形だ。受動形で言いたいのなら語尾まで省略せずに言うべきだし、むしろ無人称の主語を想定して能動形で言う方が自然な日本語になる。本来なら「上海臨時政府庁舎を一般公開」とか「ムバラク大統領の息子、解放さる」と言うべきところだろう。
そもそも「が」で主格を表す表現はつい最近の事ではないか。百人一首を調べたが、主格が「が」で表現されている歌は一つもない。そもそも主格を明示しない歌が多いが、はっきり分かるものでは「は」が一番多く十九首あった。俵万智の歌集には時々主格の「が」が出てくる。広辞苑で「が」を調べると大きく分けて格助詞、接続助詞、終助詞とあって、格助詞の中でも主格を表す例は五番目に紹介してあるに過ぎない。
日本語は助詞の使い方で細かなニュアンスを伝える言語で、外国人が日本語を学ぶ際にも「てにをは」が難しいなどと言う。最近の「が」の氾濫は「てにをは」に選ばれなかった「が」の反乱の様に見える。

2015年9月15日火曜日

降伏文書

第二次大戦が終わって七十年。中国では所謂「抗日勝利記念」として大規模な軍事パレードが行われた。歴史に学べと声高に主張している国だからまさか間違いはなかろうが、かつて日本が歩んだ誤った道を繰り返すことないように、過去の歴史に学び以って他山の石として欲しいものである。
日本の外務省外交史料館では戦後七十年企画として降伏文書原本の特別展示が行われた。原本を見るといろいろ面白い。
まず、調印の日時が分単位で書かれている。「大日本帝国天皇陛下及び日本国政府の命に依り、且其の名に於いて」として重光葵がサインをしたのは九月二日午前九時四分とある。当然九月二日までは印刷してあるが九時四分の部分は0904と手書きで書いてあった。ちなみにこれを諸国家のために受諾するとして聯合国最高司令官ダグラス・マッカーサーが署名したのは九時八分だった。
さて、ここで言う諸国家とは具体的にどこか。それを全て正確に挙げられる人はあまりいないのではないだろうか。またその順番にも重要な意味があるようだ。
マッカーサーの次に署名してるのは当然ながら合衆国を代表してニミッツ。あの「出て来いニミッツ、マッカーサー」のニミッツだ。次が中華民国の代表徐永昌。以下聯合王国(イギリス)、ソ連、オーストラリア、カナダ、フランス、オランダ、ニュージーランドと続く。
ここで面白いのが、何故かカナダの代表が署名する欄を間違えてしまったようなのだ。本来カナダ代表が署名すべき場所が空白になっていて、以下順送りする形で欄を説明する添え字が手書きで修正してある。カナダとフランスを入れ替えて以下はそのまま記入しても良かっただろうに、どうしてもこの順番(恐らく勝利に貢献した順番)を変えることはできなかったらしい。

2015年9月8日火曜日

エンブレム?

佐野氏の作品をめぐっての醜聞は海外でも話題になっているようだ。日本人として恥ずかしい限りだが、海外メディアの報じるところを見るといずれもが「オリンピックロゴ」という言い方をしている。エンブレムなどと勿体をつけた言い方をしているのは日本だけなのだろうか。
ともかく、今回の騒動では透明性が問題だとか責任の所在が問題だ、などとの議論があるが本当にそうだろうか。今回の問題の本質は要するにデザイナーに能力と倫理感が欠落していた事ではないか。そのどちらでもあればこれほど大きな騒動にはならなかったのではないかと思われる。
倫理感の欠如を示すのは他者のコピーライトが明記してある写真を無断借用した事だ。こういう場合に使うべきはパブリック・ドメイン(公有と訳されるようだ)と呼ばれる著作権フリーの素材のはずで、どうしてもあの写真が使いたかったなら、せめてコピーライトを明示して「内輪の審査段階だからこの写真を使いますが公にする際には著作権者に了解を取ります。」などと断りを入れるべきだったろう。デザイナーとして一番神経を使うべき局面だったはずなのに。
能力の欠如を思うのは盗作を疑われる似た作品が沢山ある中、いずれも原デザインを超える創意が見えない事だ。太田市美術館図書館のロゴマークなど、原デザインは円の大きさと直線の長さがバランス良くデザインされているのに佐野作品はどうにもアンバランスだ。Bの文字などひどく窮屈そうで可哀相なくらい。

他の作品からインスピレーションを得たとして、自分なりの創意を加える能力がないといけない。極端な話、前回オリンピックの亀倉雄策の作品は考えようによっては完全な日の丸のパクリだが、誰もそれを批難しないのは作者の創意が強く感じられるからに他ならない。

2015年9月1日火曜日

世界陸上

世界陸上を見て感じたこと。
・肌の色を決めるDNAと運動能力を左右するDNAとは何か関係があるのだろうか。そう思わざるを得ないほど黒人選手の活躍が目立つし、混血に当たっての肌の色の優位性も不思議ではある。顔の骨格は白人的な遺伝子を受け継いだと思われる人でも肌の色は濃い。逆に顔の骨格が黒人的で肌が白い人はいないからここには何か遺伝の法則が働いているようだ。
・体格が成績に大きく影響するような競技は問題だ。柔道に体重別があるのなら走り高跳びは身長別にすべきだろう。それともバーの高さと身長の比を争うようにしたらどうか。背が低くても足腰の強靭な選手が賞賛を得る可能性を残すため、機会均等を保証するのは大事なことだと思う。
・十種競技の優勝者は100mの勝者やマラソンの勝者に劣らぬ賞賛を受けるべきではないだろうか。走る投げる飛ぶ、全ての運動に対応する体を作り上げなければならないのだから。そう言えばかつて楊伝広という「東洋の鉄人」と呼ばれた人がいた。私が小学生の頃、彼の伝記を読んで胸を躍らせたものだった。
・準決勝では後半流しながら走って977のタイムを出したガトリン選手が、決勝では懸命に全力を出しても980しか出せなかった。当たり前のように早く走る選手の裏にある努力や節制に思いを馳せた。
REUSという名のドイツ人選手がいて、これをアナウンサーは「レウス」と発音していた。どう考えても「ロイス」と発音すべきだろう。ドイツ語でEUをオイと発音するのは常識ではないか。全てをローマ字読みしている訳でもなさそうだし。EUROはドイツでは「オイロ」と言われているが、一般には「ユーロ」であって決して「エウロ」ではない。

2015年8月25日火曜日

夏のオリンピック

八月も下旬を迎えいくらか過ごしやすい日もあるが、まだ残暑は厳しい。廿五日は処暑、暦通り暑さがおさまればいいのだが。それにしても七月末から盆にかけては暑かった。この恐らく日本で一番暑い時期に五年後の東京オリンピックは行われるという。IOCは夏季五輪開催日を715日~831日までの間に設定することを大前提としており、東京の場合724日から89日までの予定とか。どうせならお盆をまたげば見る側には好都合だったろうに。
猛暑でのマラソンの実施にいろいろ懸念が出たり、工夫が提案されたりしているが、いっそのことマラソンは冬のオリンピックの競技種目にしたらどうだろう。福岡国際マラソンなど主要なマラソン大会は大概冬に行われる。そう言えばサッカーやラグビーなども天皇杯などメイン・イベントは冬に行われるから冬のオリンピックでもいいのではないか。なにも氷と雪に関連したものだけが冬のオリンピックでもあるまい。
過去のオリンピックの開催期間を調べていて意外な事を発見した。近代オリンピックが始まって最初の頃は数ヶ月に渡って行われていたという事だ。第一回のアテネはともかく、第二回パリ大会は520日から1028日まで、第三回セントルイス大会は71日から1123日まで、第四回ロンドン大会は427日から1031日まで、と言った具合だ。理由はよく分からないが、第二回のパリ大会は併行して行われた万博の余興の位置づけだったとか。オリンピックが現在のような権威を獲得するまでには紆余曲折があったに違いない。
「参加する事に意義がある」という標語は参加者が少なかったからではないか、アマチュアリズムはプロからは見向きもされなかったからではないか、などと邪推をしてしまうのである。

2015年8月18日火曜日

阿波踊り

阿波踊りは日本一の祭りと言っていいと思う。祇園祭にしろ東北の三大祭にしろ見るだけのものだ。岸和田のだんじり祭は何代も地元に住む人でないとだんじりを引かせて貰えないと、岸和田に新居を構えた友人から聞いた。その点阿波踊りは誰でも参加できそれなりに楽しめる。青い目の外人さんが見よう見真似でぎこちなく手足を動かしていたりする。平田の天神祭もちょっとでいいから一式飾りを製作する喜びに接する仕掛けを考えたらどうだろうか。
この夏徳島市内在住の先輩からお招きを頂き、阿波踊りを実体験する幸運に恵まれた。かつて所属した会社の企業連の一員となって、紺屋町演舞場を踊り歩いた。
営業所で浴衣に着替え白足袋を履いて腰から印籠をぶら下げ鉢巻を締めて出番を待つ。駐車場で営業所長から踊りの特訓を受けて阿波踊りが人間の阿呆を追及した文化芸能だと思った。
阿波踊りの基本動作はどうしたら人間を阿呆に見せることが出来るかという点から成り立っている。凛々しい丈夫ならば仁王立ちが似合うが阿波踊りではがに股でへっぴり腰に構えないといけない。脇を締めるのは相撲に限らず多くのスポーツの基本だし、何か大事をなそうとする時の比喩に使われたりするが、阿波踊りでは隙だらけに脇を開け両手を肩以上にして構える。しかもその姿勢から前に進むときは手足を右、左と同時に前に出す。これは時に映画などで精神に障害のある人を表現する為に用いられる動作だ。
こうして徹底的に阿呆を強いられた基本動作からしかし、卑屈さは微塵もなく、有名連の人達の踊る姿は伸びやかで楽しそうで崇高さすら感じさせる。阿波踊りのこの奥深さは一体何だろう。
阿呆である事はかくも素晴らしい事なのだと示して見せた大衆の知恵と生命力の偉大さにただ脱帽するだけだった。

2015年8月11日火曜日

スカルノ

先月下旬国士舘大学で「スカルノ国際共同研究発会式」という催しがあり縁あって参加した。インドネシアの初代大統領スカルノの業績研究を通してアジア近代史への理解を深めようというもので、当日はスカルノ大統領の御長男、その娘で現在インドネシアの国会議員であるプティ・グントゥール・スカルノさんなどが出席した。
第一部は大教室での講演会。国士舘大学の教授によるスカルノの業績紹介やプティさんによる記念講演などが行われた。スカルノの業績の第一は何と言ってもインドネシアの統一と独立なのだが、一九五五年のバンドン会議も忘れてはならない。周恩来やネルーなどアジアの指導者を集めた会議で、スカルノはそこに日本の代表も呼んだ。当時はまだ第二次大戦の記憶も生々しい時期。うっかり顔を出せば参加国から袋叩きにあうのではないかと、疑心暗鬼の日本政府は当時の経済企画庁長官高崎達之助を代表として送った。おっかなびっくりの高崎はしかし大歓迎を受ける。この時の周恩来との縁で高崎は日中国交回復に活躍することになる。
第二部はラウンジに場所を移して立食パーティ。プティさんは気さくな方で私とのツーショットにも気軽に応じてくれた。招待客が入れ替わりスピーチに立つ中で印象に残ったのはプティさんの同僚議員のスピーチで、もしスカルノがいなかったらカリマンタンはインドネシアになっていなかっただろうというもの。多民族が割拠する島嶼国家を一つにまとめるのは大変な事だったろう。
最後の締めくくりのスピーチでプティさんはジャスメランという言葉を紹介した。これは直接的には赤い背広という言葉だが、歴史を忘れないという意味が含まれるそうだ。プティさんは日本は歴史を忘れないで戦後復興を果たした、と言った。インドネシアの日本に対する敬愛を感じる言葉だった。

2015年8月4日火曜日

エンブレム

東京オリンピックのエンブレムが発表されて、その第一印象は「えぇ、何、これ。ひどい!」だった。もっともそう感じるのは私に美的センスがないからであって、審美眼のしっかりした人には優れたデザインに見えるのでしょうかね。
それにしても説明も何か変だった。いわく、東京のT、チームのT、明日を意味するトゥモローのTだそうだが、どうしてトゥモローだけわざわざ日本語で補足しないといけないのだろう。オリンピック、エンブレム、チーム、トゥモローとカナ文字を並べて、トゥモローだけが格別難しいというわけでもなかろうに。もし私の母が生きていたならどう言うか。オリンピックはかつての東京オリンピックを経験しているから問題ないだろうが、エンブレムは何の事か分からないと言うだろう。残りの二つはおそらく理解しただろう。
こうしてみると、トゥモローだけ日本語の補足があったのは、それが必要だったからではなく、エンブレムやチームはどう日本語にしてよいか分からなかったからではないかと勘繰りたくなる。
チームもいざ日本語にしようとすると結構難しいが、それは皆様のお楽しみにとっておくとして、エンブレムを英英辞典で引いてみると「会社やスポーツクラブなどの組織を代表する象徴として選ばれた意匠図案」という説明がある。いわば家紋のようなものだ。日本には家紋という優れたデザインの伝統があるのに、今回のエンブレムはなんと不格好か。招致活動の際に利用した桜の花びらが散りばめられたデザインの方がよほどましに見える。しかもそれは誰かの作品を盗作したのではないかとの疑いもあるという。盗んでまで利用したいデザインには見えないが。
はいはい、もちろんこれは私の審美眼の方にこそ問題があるのでしょうがね。

2015年7月28日火曜日

履行責任

前回の投稿に対してあるゼネコンの関係者からお叱りを頂戴した。新国立競技場の見積は赤字覚悟の大出血サービスなのに利益の上乗せとはとんでもない、と。マイナスの利益を上乗せしたという事で論理的には間違ってない、と言っても納得してくれない。ここでは前回の「経費や利益を上乗せして」の部分は「経費や利益を加味して」ないし「考慮して」に修正して頂く様、平伏してお願いする次第である。
本件に関し、ハディド氏側が損害賠償を請求してくるのではという報道があるが、ちょっと首を傾げたくなる。一連の騒動で損害を蒙ったのはハディド氏側ではなくむしろ日本国の方ではないか。当初のコンペの条件である1300億円で建設が可能であれば何もこんな問題は起きなかった。ハディド氏の提案がとても予算内では収まらないものであったからこそ関係者一同が迷惑を蒙っているわけで、本来ならハディド氏が自分の案を予算内で建設する業者を探してきてきちんと実現するのが筋というものだ。
国際的な大型案件の入札に際しては入札者が責任を持って契約を履行するために入札保証(ビッド・ボンド)や契約履行保証(パフォーマンス・ボンド)を求められるのが一般的だ。応札額の一定割合を保証金として差し出し、もし何らかの理由で契約が履行できなくなった時にそれが没収される仕組みだ。また工事期間中に生じる様々なリスクに対して保険をかける事も要求され、技術力や実績の乏しい企業ではその保険料がコストを押し上げて競争力のあるプライスが提示できなかったりする。
設計コンペでも当然同じような仕組みがあると思うのだが、それをしていなかったとしたら発注者側のプロジェクト・マネージメント能力に問題があったように思う。

2015年7月21日火曜日

物の値段

物の値段の事を英語では普通プライスという。新国立競技場の計画で「コストが・・」と言われる中、本来「プライスが・・」と言うべきものもある。コストとプライスを混同するのは建設業界の悪弊で、要するに両者が単純に連動しているからなのだが、2520億円というのは建設のコストに業者の経費や利益を上乗せしたプライスである事は言うまでもない。
プライスの決まり方については三つの基準があって、コスト基準、バリュー基準、マーケット基準だというのがビジネス・スクールで教える事柄だ。
コスト基準は分かりやすい。作るのに100円かかるから経費や利益を上乗せして105円のプライスにする。バリュー基準の極端な例は巨匠の絵画などで材料費は100円でも作品はその価値から値段が一億円になったりする。メーカーがブランド・バリューの向上を目指すのもまさしくバリュー基準のプライスを高くしたいからに他ならない。マーケット基準は農産物などが良い例だろう。農家が汗水たらして100円のコスト作ったキャベツが豊作過ぎて50円の値段しかつかなかったりする。
世の中の値段は大体上記で説明がつくが、長距離バスの値段はどう説明すべきか良く分からない。先日東京から大阪経由で出雲に帰省し、数日後に出雲から東京まで直行の夜行バスに乗った。値段は東京から大阪まで2800円、大阪から出雲が5800円、出雲から東京が4000円だった。運転手の数は大阪から出雲だけが一人、他は二人。サービスも大阪出雲便が一番悪かったように思う。
それにしても新国立競技場の白紙撤回の際に森元首相がこぼした愚痴「たった2500ぽっちが出せないのかねえ」には驚いた。大物ぶりたいのか、バリュー基準なら適正なプライスだと言いたいのか。その感覚が一千兆円の国債を生んだのだ。

2015年7月15日水曜日

例え話

安保法制を巡る安倍総理の例え話が今一つピンと来ない。集団的自衛権を説明するのに「不良が友人のアソウさんを殴ったら私はアソウさんを守る(つまりアソウさんと一緒に不良と喧嘩する)」という例えは如何なものか。まず相手の国を不良に例えるのもどうかと思うし、相手が国なら喧嘩になる前に様々な折衝、外交があるはずでいきなり喧嘩になるはずもなく、仮に万が一喧嘩になったとしても先ず最初にやるべきは止めに入る事ではないか。
例えば、家族で平和に暮らしている家があって、そこに強盗が押し入ろうとして玄関の鍵を壊しているのを隣の住人が見咎めて制止しようとしたのに、強盗がその人を殴りつけたら、その家の人は当然隣の人と一緒に強盗と戦うだろう。そういうのが集団的自衛権だと思うのだが、その例え話では地域的制約がかかってしまうから駄目なのだろうか。でも自衛というからには地域的制約は必須のように思う。守るべき家族から遠く離れた場所で友人と一緒に喧嘩するための理屈はなかなか難しい。
存立危機事態というのも説明が苦しい。ホルムズ海峡の封鎖が話題になるが、それを例え話にするなら「いつも買い物に言っている近くの安売りスーパーへ行く道が、あるデモ隊のバリケードで封鎖されてしまったので、高校生の息子を連れてバリケードを撤去しに出掛ける。場合によっては現地でのイザコザで息子が大怪我をするかも知れないけど」という事になろうか。もしそんな事になったら私なら遠くても別のスーパーへ買い物に出掛ける。原油はベネズエラからでも買える。豪州やインドネシアからLNGを買ってもいい。ちょっとくらい高くでもいいじゃないか。場合によっては少々我慢をしたって、命の危険を冒してまで喧嘩するよりマシだとは思わないか。

2015年7月7日火曜日

ギリシャ

この原稿が新聞に載る頃にはギリシャの国民投票の結果も出ているだろう。借金をした相手が国内か海外かの違いはあるが、日本も同じように多額の借金をしている事を考えると、今ギリシャで起きていることが将来日本でも起きるかも知れないという思いがあってギリシャから目を離せない。
ギリシャが悪い、いやEUの方も問題だ、と様々な議論がマスコミで展開されている中、そもそも財政の脆弱なギリシャがどうしてユーロに加盟する事ができたのかについてはほとんど報道されていないが、あるメル・マガで偽装の実態を知った。
ゴールドマン・サックス傘下のヘッジ・ファンドが提案したとされる財政偽装は以下の通り。ギリシャがヘッジ・ファンドに担保として差し出た国債の倍の額をヘッジファンドがギリシャに貸し付ける。債務の支払に将来の税収や国有空港の使用料などを充てる約束を交わす。これにより発行した国債の倍をギリシャは手に入れ、差額を政府収入として財政赤字を偽装し加盟条件をクリアする。
ヘッジ・ファンドの怖さはその後で、偽装がバレた時に備えてあらかじめCDS(クレジット・デフォルト・スワップ。一種の保険)を買っておいて、それが高騰したときに売り抜けて巨額の利益を得たとか。メル・マガの作者は「生命保険をかけた殺人のようだ」と言っている。どこまで本当かは分からないがいかにもありそうな話だ。
金融機関は怖い。時々仕組み預金の誘いが来るが、あれなど「賭けをして勝った時は儲けを折半しましょう。負けた時は全部貴方の負担ですよ」と言っているような商品だ。それを承知で買うのならいいが、窓口で売っている女性は高金利の良い商品だと信じている善意の塊だから猶更怖い。金融リテラシーは現代人にとって必須のものだと思う。

2015年6月30日火曜日

健康指導

定期健康診断を受診して各種指標に悪化傾向が見られるとの事で健康指導を受けることになった。健康のため毎日のカロリー摂取量を減らさないといけないそうだ。そのために何を食べてはいけない、何を飲んではいけない、と耳に痛い注文をいろいろ聞いてきた。
厚労省は増大する医療費を抑制しようと、メタボ健診や、宿泊型新保健指導プログラムと言って旅館やホテルに泊まりがけで運動・栄養の保健指導を受けるプログラムを進めているそうだ。特に後者はホテルへの宿泊や観光地の散策が地域経済の活性化にも結びつくため、成長戦略の一つにも盛り込むとか。アベノミクスだ第三の矢だとかに便乗して予算を獲得しようとする役人根性丸出しの牽強附会にはあきれるしかない。
健康に暮らしたいというのは誰しもが望むところではあるが、一方で誰も死を逃れることが出来ないのも厳然とした事実である。将来のある二十代三十代の若者なら、いくらか食事を制限してでも健康で生きてもらわないといけないが、もう孫も出来て次世代へのバトンタッチも終えた還暦過ぎのおじさんはそろそろどう死ぬかを考えるべきではないか。死を射程距離に入れての健康指導であるべきだ。
異性にモテたいのでスリムな体形を維持しようと好きな食べ物を諦めるというのなら理屈が通っている。だが、単に長生きするために、つまり将来美味しい物を食べるために今それを諦めるというのは筋が通らない。味覚が達者な今こそ美味しい物を楽しまなくてどうする。
食べたいものを食べ、飲みたいものを飲んでコロリと死んだ方が医療費削減のためにも良いのではないだろうか。還暦過ぎのおじさんに対する健康指導は、どういう食事をすればピンピンコロリと死ねるかを主眼にすべし、というのは言いすぎかな。

2015年6月23日火曜日

名所続き

東京は上野にある東京都美術館で大英博物館展が開催されている。その中の展示の一つに「インダス文明では大きな遺構や遺跡が発見されていないことから比較的民主的な社会であったと思われる」というような記述があった。当コラム407回で言いたかった事はまさにこの事だ。
現在観光名所となっている施設の多くはかつて時の権力者や金持ちが民衆から搾取した富を原資にして作られたものだ。北京の北西にある頤和園は西太后が贅の限りを尽くしたもので、本来なら軍備に回すべき予算を流用して作らせたと言われる。お陰で李鴻章は満足な海軍を構成できず日清戦争に敗れたとか。百年後にそれが観光資源となって国に富をもたらす事になろうとはその時想像もしなかっただろうが。
これと逆の事を思ったのが秋田での体験だった。能代での仕事が入ったのを奇貨として秋田を観光しようとして早めに入った一日の長かったこと。久保田城として知られるかつての佐竹氏の居城はそこに立てられた説明書きによると「石垣も天守閣もない城として特徴がある」との事。石垣も天守閣もない城とはまるで黒髪もつぶらな瞳もない乙女みたいではないか。観光案内を見たら旧金子家住宅というのがあったので行ってみた。江戸時代の豪商の住宅だが、酒田の本間家は言うに及ばず出雲地方に残る豪農屋敷よりも規模が小さい。赤れんが郷土館はいささか権威を感じさせるものだったが、これは旧秋田銀行本店で明治以降のものだ。
思ったより時間を潰せない一日、秋田市内をぶらついて思ったのは、この地を支配した人が民衆を搾取しなかったのだなあ、という事だ。竿燈祭りは搾取に苦しむことなく生を謳歌する民衆の象徴だ。秋田県知事がかつての領主佐竹氏の末裔である事とそれは関係ないだろうが。

2015年6月16日火曜日

お洒落

前回の当欄で御紹介した某氏、タップダンスを習いたいと思ったのは、月の明るい夜に赤坂の一ツ木通りをタップを踏みながら歩いたらさぞかし気持ち良いだろうと思ったからだそうだ。恐らくその横には愛する女性がロングスカートの裾をなびかせているイメージも頭の中にあるのだろう。この人、考えることもお洒落だし、やることもお洒落だ。
そもそも「音の個展」をやろうという発想からしてお洒落だし、それを実際にやってしまうのだから。お洒落とは自らの努力によってまわりから格好良いなあと羨ましがられるようなことをする事だろうと思う。いわば文化と教養の所産で、金にあかせて有名ブランド品で身を包んだりするような行為はお洒落の対極にある恥ずかしい事だ。蛮カラなどはお洒落をできない男の開き直りと言って良いのではないだろうか。
「音の個展」では良く知られた曲を彼なりにジャズ風にアレンジしたものや、自作のCDの中からの数曲が披露された。自作のCDは各曲の題名の横に作曲した年代が付記され、その下にその曲に関する想い出が書かれている。中でも私の一番の好みはファンシー・モーメンツと名付けられた曲で、その想い出は以下のように書かれている。なんとお洒落なプロポーズなのだろう。
「その人のために作曲し、手書きの楽譜にし、丸めてまわりにピンクのリボンをかけて、デートの時に手渡した。そしてその人と結婚した。(今その人はこのピンクのリボンと楽譜のことを全く覚えていない)この曲を結婚披露宴のテーマ曲にし、オーケストラ・バックでピアノコンチェルト風に弾いた。披露宴の引き出物はこの曲の出だし四小節の譜面がプリントされたお洒落なグラスのセットだった。」

2015年6月9日火曜日

軽妙トーク

私のある友人が「音の個展」というのを開いた。普通個展といえば絵画を展示するものだが、彼の場合は自作の曲も含めてピアノ演奏を披露しようというものだった。某放送局を定年退職してピアノの腕前は玄人はだし。自作の曲をコンピュータによるMIDI音楽を伴奏ピアノ演奏したCDを作ったりする程の人だ。その演奏をお聞かせできないのは残念だが、演奏の合間のトークが軽妙だった。
「定年が間近になって、退職したらあれもやりたいこれもやりたいと思っていたが、今思うとやりたい事には二種類あるようだ。本当にやりたい事と、本当はやりたくない事。例えば撮りためた写真を整理しよう、などというのは後者の典型例で本当は出来ればやりたくない事だ。本当にやりたい事にも二種類あって、やれば出来る事とやりたくても出来ない事。若い頃時間があったらタップダンスを習いたいと思っていたが、今になると膝や腰の状態からしてとても出来るものではない。」教訓:本当にやりたい事は今すぐやろう。
「押入れを整理していたら、大学の入学祝いに貰ったボールペンが出てきた。大事なものだから大切に仕舞っておいたものだ。何十年か経って取り出してみると、もうボロボロになってとても使えた代物ではなくなっていた。」教訓:大事なものはすぐ使おう。
「バスを待っていると反対側の路線の方は何台も通過するのにこちら側はなかなか来ない事がよくある。やっと来たと思ってもいつもせいぜい一台。どうして神様はこうも不公平なのか、と愚痴をこぼしたくなるが、ある日ふと自分の勘違いに気付いた。こちら側のバスには最初に来た一台に乗ってしまうから次に何台も連続して来たとしてもそれに気付かないだけなのだ、と」教訓:自分の立場を俯瞰視しよう。

2015年6月2日火曜日

PAZ

PAZという言葉をご存じだろうか。UPZは?実は私も「東京ブラックアウト」という本を読んで初めて知った。
この本は当コラム374回でご紹介した「原発ホワイトアウト」の続編として書かれたものだ。仮想の新崎原発での事故が日本を混乱に巻き込む様子が描かれている。安全なはずの原発がテロによって電源を喪失し、何より周辺住民の避難計画のずさんさが被害を拡大するという筋立てだ。
PAZとはPrecautionary Action Zoneの略で予防的防護措置を準備する区域、原発施設から概ね半径5kmを意味する。UPZUrgent Protective action Planning Zoneの略で緊急防護措置を準備する区域、原発施設から概ね半径30kmを意味し、島根原発から見ると出雲市の中心部は十分その中に含まれる。帰省して何人かにこの言葉を知っているか尋ねたが、知っている人は一人もいなかった。出雲市の人達はもし島根原発に万が一の事が起きた時の腹積もりは出来ているのか。
原発の再稼働に当たって、原発施設そのものの安全性を確認するのは当然の事として、万が一の事故の際の対策が十分な現実性をもって用意されていないといけないはずだが、それは大丈夫だろうか。周辺住民の殆どが用語についてすら知らない状況を見ると「東京ブラックアウト」の想定をあながち否定できない。
この筆者は多分に世の中を斜めに見ている感じで、この本の中でカベノミクスを推進する加部総理については「大学受験や国家公務員試験の洗礼を受けたことのない四世の加部が」とか「政治家四世の血筋で、父や祖父に比べて勉強の出来が悪く、その劣等感の裏返しとして、周辺諸国に必要以上に虚勢を張る夜郎自大的な総理にとっては」と言った調子で語られる。
原発対策の実態が周辺住民の安全を十分考慮したものである事を願うばかりだ。

2015年5月26日火曜日

名所

十七日で終わったが県立歴史博物館で「入り海の記憶」という企画展をやっていた。その中で特に私の興味を惹いたのは大正十五年大阪毎日新聞が作った「日本鳥瞰中国四国大図絵」という観光名所案内だった。そこには萩の松陰神社が出雲大社と同じ位の大きさで表記されていた。
大正十五年と言えば松陰神社はまだ間口一間半奥行二間の土蔵造りの小さな祠だった頃だ。(当コラム399回参照)その小さな祠が堂々たる出雲大社と肩を並べるような扱いになっているのに驚いた次第。そして名所というものについて考えさせられた。一つは誰が作ったのかということ、そして費用は誰が負担したのかということ。
松陰神社は後に弟子たちが師の遺徳を偲び、その短い生涯を惜しんで作ったもので、決して被顕彰者である吉田松陰が作ってくれと言い残したものではない(と思う)。一方の出雲大社は大国主命が国譲りをする替わりに大きな社を作ってくれと言ったと伝えられるが、本当だろうか。大国主命の善政を偲んで住民が自発的に作ったものが、後の為政者の都合で次第に大きくなっていったのではないだろうか。そもそも被顕彰者の方から自分の記念碑を作ってくれと言い出すなんて北朝鮮の不必要なほど大きな銅像を思い出させて面白くない。
松陰神社が当初小さな祠だったのは、それを建てたい人達の純粋な気持ちが自分らの労力の範囲内で可能な事をした結果だった。それが大きくなるにつれて資金集めが必要になり、その極端な例が民衆の飢えと引き換えにした北朝鮮の銅像だろう。そもそも名所旧跡とは民衆の犠牲の上に成り立っている。それを思ったのは秋田市内を観光した時なのだが、その話はまた別の機会に。

2015年5月19日火曜日

十手先

電王戦で垣間見えたコンピュータの意外な弱点とは、なんと十手先もコンピュータは読めないという事だった。詰め将棋のように一本道であれば何百手も先まで読めるコンピュータが序中盤の手の広い局面だと十手先に仕掛けられた罠に気付かなかったのだ。
コンピュータにゲームをやらせるという事は、そのゲームの局面を数学的に表現する方法を考え、ルールに従って到達しうる出来るだけ多くの局面を想定して、それぞれの局面を評価して一番良い結果が得られるように次の一手を決める事だ。全ての局面を網羅できればいいが、十手先で考えられる全ての局面は将棋の場合107374182400億手になるという。仮に一分で一億手を読んで評価する事ができても、これを全て読むためには20万年かかる。だから数手先にこれなら絶対に有利だとか不利だとか判断する局面があったらそこで読むのをストップして別の手を検討する事になる。
まさに今回コンピュータが陥った罠はそこにあって、二手先に馬を作る事ができるなら絶対有利なはずだと、そこで判断をストップしてしまったのだ。実は十手先でその馬をタダ取りされる順があるというのに。
開発者はソフトにそういう欠陥がある事を知っていて、プロ棋士を相手に馬をタダ取りされては勝つ見込みがないとして早々に投了してしまった。だが、どの段階でコンピュータが自分の過ちに気付くのか、そして気付いたときどういう反応を示すのかを見たかった。最近はコンピュータが自ら学習する機構についても研究が進んでいる。
電王戦は勝ち負けもさることながら、人工知能の限界を知り発展させる事がより上位の目標としてあるはずだ。負けを認めるのも知能の一つ、コンピュータが負けを認めるまで続けて欲しかった。

2015年5月12日火曜日

執念と美学

松江で将棋の名人戦が行われた。それで思い出したが電王戦FINALにはいろいろと考えさせられた。プロ棋士の勝利への執念と、あれほど強力に見えたコンピュータの意外な弱点とである。
プロ棋士がコンピュータの挑戦を受ける電王戦は過去三回戦われ、いずれも負け越したプロ側は今回こそは絶対に負けられないとの気負いがあったのか、将棋の本筋とは違うところでのコンピュータの弱点を研究し、それを利用しての勝利だった。
将棋の奥義をきわめるというよりも、勝ち負けにこだわって小細工を弄したようなその姿勢には若干の違和感があった。対局者自身も「葛藤はあった」と認めている。いわゆる嵌め手に属するもので、一見おいしそうな手をおとりに罠を仕掛けたのだった。詳しい手順はここでは書けないが、正々堂々と戦ったのでは勝てないとプロ棋士が認めたような内容だったと思う。
勝負事だから勝ちを目指すのは当然の事だろうが、過度に勝敗にこだわるとちょっと醜さを感じてしまうのは何故だろう。不利な局面でも最後まで諦めずに全力を出し切る美しさと、醜いこだわりを分けるのは、終わった後お互いを称え合う気持ちが残るかどうかだ。
いつだったか囲碁の世界大会で韓国選手が大石を取られどうやっても勝てない局面で、相手の切れ負け(持ち時間がなくなると負けるというルール)を狙って、勝敗に直結しないヨセを打ち続けたことがあった。そこまでやると試合後に握手をする気持ちがなくなるのではないか。
谷川浩司十七世名人の将棋には美学があり、局面が不利になって回復の見込みがなくなると潔く首を差し出し、相手の綺麗な勝ち方を演出するような指し方をする事がある。こちらはもっと粘って欲しいのに。
コンピュータの弱点については次回に。

2015年5月5日火曜日

仕事と報酬

「町村議選で定数割れ続出、報酬割り合わぬ」との見出しが新聞に載った。だから報酬を上げようというのだが、しかしそもそも報酬を目当てに議員になろうとする人を信用して良いものか。綺麗事だと言われるかも知れないが矢張り高い志を持って使命感に後押しされてなるものであって欲しい。
職業に貴賎はないというのは当然の事であるが、仕事には報酬を目当てにするものとそうでないものとがあるように思える。例えば芸術家などは報酬を目当てにしている人はおそらく誰もいないだろう。絵を描きたい、美しい音楽を奏でたい、そういう内なる欲求に動かされて画家になったり音楽家になったりするはずだ。プロのスポーツ選手は若干微妙なところがあるが、お金目当ての人は概して大成しないのではないか。
一ヶ月くらい前だったか世界卓球選手権で優勝し、優勝賞金の額を聞いた伊藤美誠選手のあどけない表情が印象的だった。中学生にしては大金であるその賞金が彼女の目標であったはずもなく、ただ強くなりたい、良い試合をしたいという一念だったからこそ頂上に立つことが出来たのではないか。報酬は結果であって目標ではないのが一流選手の常道だろう。
お金がインセンティブの第一順位でない姿は理想的だとして、世の中には報酬がなければやりたくないような仕事があるのも事実だ。ある意味苦痛の代償として報酬を得るような仕事だが、政治家がそういう種類のものであって欲しくはない。昨今日本のマラソン界が不振で、選手達を鼓舞するため日本新記録を出した人には一億円の賞金を出すことに決めたそうだ。瀬古や中山の時代には考えられなかった事。お金に頼らざるを得なくなるのはその世界の衰退の表われだ。やむを得ないのかも知れないが何か淋しい。

2015年4月28日火曜日

無投票

統一地方選で多くの無投票が発生しているという。立候補者数が定数に満たないためだそうだが、投票行為は民主主義の基本をなすものだからそれが出来ないというのは大変憂慮すべきことではないか。如何なる場合においても投票は必ず行われるべきだという発想の元であるべき制度を考えて見た。
投票には良いと思う人を選ぶという機能と、信任するかしないかを表明する機能とがある。総選挙の際に行われる最高裁判所の裁判官に対する国民審査は後者の機能を制度化したものだ。昨今、カラ出張によって政務活動費を詐取するような県会議員がいたり、国会の本会議をサボって遊び呆けるような国会議員がいたり、議員としての適格性が問題になるような事件が散見されると、この人だけは議員にしたくないという住民の声を選挙に反映したくなる。
現在の制度では「この人を議員にしたい」というプラスの投票しか出来ないが、「この人だけは議員になって欲しくない」というマイナスの投票も出来るようにしたらどうか。そしてマイナスの票の方が多いような候補者がいたら、仮に全体として定数に達していようがいまいがその候補者は議員にしてはいけないと思うがどうだろうか。そういう制度になれば立候補者数の多寡にかかわらず投票は必ず行われるようになる。そうした過程を経て選んでこそ真の選良と呼ぶに相応しいのではないか。
ただ、そうするとますます立候補者数が減って、定数に満たないケースが多発しそうだが、そもそも定数とは何か。どういう根拠で決められているのか。議員の数が少ないとどんな問題が発生すると言うのか。議員のなり手不足は議員報酬が少ないからだ、という議論もあるようだが、報酬に釣られて議員になるような人が多くなると、その方が余程問題ではないか。

2015年4月21日火曜日

異文化

ある民放のスポーツ系バラエティ番組で、我等が錦織選手が素人を相手にテニスのハンディ戦を行うという企画があった。素人とは言え、かつてテニスで国体に出場したような人達だ。その中の一人に石井というアナウンサーがいて、彼が高校生の頃当時小学生だった錦織選手に負かされる試合のビデオが流されたりした。試合後のインタビューで錦織選手は年上の彼を「石井君」と呼んだ。
近所のテニス仲間でこの事が話題になり、日頃錦織選手の信奉者である人達が「年上に向かって君づけはよくないよ」とか「上から目線を感じる」などと批判していたが、私はちょと違う印象を持った。これは流暢な英語と同じく錦織選手の長いアメリカ生活の賜物なのだと。
長幼の序を大切にするというのは多分に東洋的、儒教的な価値観で、どちらが年上かを強く意識した兄弟という言葉に対して英語ではブラザーと年の差が意識されない。彼の地では長幼の序よりも身内感が重視されている。お互いをファーストネームで呼び合うというのも、私は貴方を身内の人だと思っていますよ、という気持ちの表れではないか。それは多民族が入り混じった社会で良好な関係を築くための知恵なのだと思う。だからジョコビッチは相手が年上でも決して「フェデラーさん」とは呼ばず「ロジャー」と呼び捨てにしている。
これは自然のように見えていざ自分がその場面に立つととても違和感を感じる。近所のテニス仲間が感じた違和感がまさにそれだ。アメリカ生活の長い錦織選手が石井さんをファーストネームで呼んだとしたら、どういう評価になっただろうか。

普段の価値観と違う場面で感じる居心地の悪さ、異文化に接する時の違和感は今後の国際社会において我々が克服しなければならないものの一つなのだと思う。

2015年4月14日火曜日

変な丁寧語

被災地の墓地の修復に関するニュースで「・・な墓地になっていただけたら・・」というコメントがあった。と思ったら寺社仏閣に油を撒くという事件に関してある人が「犯人には早く捕まっていただきたいですね。」と言っているのが字幕で流れた。妙な言い方だなあと思ったが後者はひょっとしたら「早く捕まえていただきたい」と言いたかったのだろうか。
製品に不具合が見つかった場合良く会社側が流す広告「着払いで送っていただきますようお願いします。」も本来なら「送って下さるようお願いします。」でないといけないではないかという学者さんがいた。会社と消費者の関係で言えばこの場合会社がへりくだらないといけない立場だから会社から見れば送って「下さる」のが当然だろうというわけだ。謝礼として会社が消費者に何かを送る場合には「送らせていただく」となるのだろうが。
何々させていただく、という言葉は大阪選出の某衆議院議員のスキャンダルでも沢山聞いた。国会を欠席させていただきました、私的な会合に参加させていただきました、秘書の実家に一泊させていただきました、云々。流石に飲み屋をはしごさせていただきました、はなかったけど、させていただくのオンパレードは聞いていて恥ずかしくなった。
誰が話しているのか、主語は誰かによって表現が微妙に変わるのだから外国人にとって日本語の敬語をマスターするのは難しいことだろう。ある有料チャンネルのテニス番組でレポータを勤めている外国人の丁寧語はちょっと変だ。試合前の選手を取材して「某選手がこうおっしゃっていたわけですが」などと言う。「誰々がこう言っていた。」というのが普通だと思うのだが。何でもかんでも丁寧にすれば良いという訳でもないのに。

2015年4月7日火曜日

方言

田舎に帰って同窓会に参加して何十年ぶりかに同窓生に会い想い出話しに花が咲いて、だけどその友人の口から流れ出るのが出雲弁でない時、何とも言えず淋しい気持ちになる。方言で話してくれたらもっともっと打ち解けて一体感も増し会話が弾むだろうに。友人が出雲弁を話さないのは出雲弁が話せなくなってしまったからなのか、それとも出雲弁を恥ずかしいとでも思っているのだろうか。どちらにしても淋しい限りだ。
学校を出て長い間田舎を離れたという人でなくとも方言はどんどん下火になっているようだ。友人の会社に勤める若い女性の話す言葉を聞いて思わず「貴女は都会から来たのですか」と聞いてしまった。地元の出身で今でもおばあさんから三世代同居していると聞いて、おばあさんが御健在なうちに出雲弁をしっかり習得して下さいね、とお願いしておいた。スーパーでレジを打っているかなり年配のおばさんまでもが標準語で受け答えしている。もっともこれは全国チェーンの指導が入っているだろうから仕方ないか。
方言を出来るだけ残したいと思っている時困るのが適切な表記の方法がない事だ。「い、のんか」の「い」は湯の事だが、やっぱり「い」と書いてしまっては台無しだ。「うちの」を表す「おちん」も表記に困る。「我が社」の事を「おちん会社」と言うくらいならまだ誤解は少ないだろうが、「我が家の子」を「おちん子」と書いてしまうと、出雲弁を全く知らない人は字面だけ見て男性の大事な部分を息子と言う世俗的慣用表現を出雲でもそのまま方言として使っていると誤解してしまう人がいないとも限らない。「い」と「う」の中間の曖昧母音を表す文字やイントネーションも伝えることの出来る表記方法があればいいのだが。

2015年3月31日火曜日

史跡

「花燃ゆ」の萩へ行ってきた。流石に大河ドラマの威力だろうか、金曜日の市内の宿の予約はどこも満室だった。
松下村塾や毛利家の菩提寺である東光寺のある椿東地区を回って思った。吉田松陰が生き返ってこうした史跡を見たら何と思うのだろうか。松下村塾を保存して当時の面影を偲ぶのは良いとして、流れ造りの壮麗な松陰神社や、松陰誕生の地の近くに建てられた松陰と金子重輔の銅像を見たら「おいおい、ちょっと待てよ」と言うのではないだろうか。
今の松陰神社は昭和三十年に建てられたもので、元は間口一間半奥行二間の土蔵造りの小さな祠だった。その建物は現在松門神社として松下村塾の門人五十二柱を祀っているが、いかにも質素なたたずまいでこれなら松陰先生もとやかくは言わないかも知れない。が、今の社殿はあまりに立派で「こんなものを建てる金があったら、貧しさゆえに学問ができない子供たちに分け与えなさい」と苦言を呈すのではないか。松陰誕生の地の近くに建てられた銅像に至っては昭和四十三年に建てられたもので、見る者に見上げる事を強いるような造りになっている。北朝鮮の銅像ではあるまいし、こんな強圧的なものを松陰先生が望む訳がない。銅像の碑には同じ山口出身の佐藤栄作の揮毫が彫られているがまさに松陰先生をダシにした現世の醜い欲望を見る思いがする。

これはトルコのアタチュルク廟を見た時にも感じた事だ。黄金で覆ったそれはそれは豪勢な廟で、祖国の防衛に命を張ったアタチュルクが本当に望んだものなのか疑問に思った。近代トルコの礎を築いたアタチュルクは日本で言えば大久保利通に当たるかも知れない。大久保の史跡と言えば清水谷公園に飾り気のない石碑が立っているだけだ。史跡の過度な豪奢さはむしろその人への侮蔑にも見える。

2015年3月24日火曜日

スマホ

スマホを使いだして数カ月が経つ。すべての機能を使いこなしているわけではないが、それなりの便利さを感じている。かつて人からスマホを薦められた時は「パソコンを常時持ち歩いている感じが良い」のだと言われたが、まさに田舎に帰省したときはその便利さを実感する。
固定電話によるインターネットへの接続環境がなくても簡単なメールなら見ることができるのは大変にありがたい。パソコンと言えば私が出会った頃のそれは技術計算をする道具だった。それがいつの間にか文章を書く道具になり、他人と連絡を取り合う道具になり、そして今は世の中にある情報を入手する道具になっている。
田舎に帰ってBBCやアルジャジーラのニュースを無料で見ることができるのもありがたい。新聞がなくとも、テレビが芸能ニュースしか流さなくともニュースに飢えることがない。チュニジアでのテロ事件も最新の情報に接することができた。CNNの音声ニュースも無料で聞けるが、音声を聞くとなると多量のパケットを消費するので、無料のWiFiがある場所でないと聞かないことにしている。
万歩計の機能がついているのも重宝している。腰のベルトにつけるタイプの万歩計は何個失くしたことか。ポケットに入れて測れるタイプのものは機能が多すぎて困った。知らないうちに歩数カウントが消費カロリー表示に変わっていたり、それを元に戻すためにはAのボタンを押しながらBのボタンを押すなどと、その度にマニュアルと格闘しないといけない。万歩計ごときにそんな操作を覚えていられるか。その点スマホの万歩計は単純だし、元来スマホは常に身につけているものだから使用形態は万歩計にぴったりだ。最近はパジャマに着替えてからもポケットにはいつもスマホを忍ばせている。

2015年3月17日火曜日

JFK

前回に続き催し物からの話題。皇居北の丸公園内の国立公文書館で「JFK-その生涯と遺産」展が開催中である。故ケネディ大統領に係わる写真や遺品などが展示されている。
中でも特に印象が残ったのはキューバ危機に際して弟ロバートが残したメモだった。それは紙の切れ端になぐり書きするかのように ”I now know how Tojo felt when he was ordering Pearl Harbor”と書かれていた。キューバに建設されつつあるミサイル基地をなきものにするためには奇襲を仕掛けるしかなく、予告なしに攻撃するとしたらかつての真珠湾攻撃と同じだなと、東條英機の苦しい胸の内を思い起こしたのだ。
ケネディ大統領の演説の模様を録画したビデオの中に「アメリカ国民に対する公民権についてのテレビおよびラジオ報告」というのがあった。一九六三年アラバマ大学の入学試験に合格した二人の黒人の入学を認めようとしない州知事に対して、入学を認めさせるために州兵まで動員したときの演説だ。大統領は「明らかに入学資格を持ち、たまたま黒人に生まれた二人のアラバマ州民の若者」と言っている。驚いたのはこの「黒人」のところ、「ニグロ」と言っている事だ。
「ニグロ」というのは蔑称の響きがあって最近は「ブラック」とか「アフリカン・アメリカン」と言っている。「夜の大捜査線」という映画は北部の黒人警官がたまたま通りかかった南部の町での殺人事件を解決する話だが、その町の保安官を演じるロッド・スタイガーが時に「ニグロ」と言ったり時に「ブラック」と言ったりする。字幕ではどちらも「黒人」と訳してあるが、場面を見ると明らかに使い分けているのが分かる。この映画は一九六七年製作。人種問題が大きな曲がり角にあった時代なのだ。

2015年3月10日火曜日

明治の駅

皇居を大手門から入って数十米歩いたところに三の丸尚蔵館がある。そこで三月八日まで「明治天皇 邦を知り国を治める 近代の国見と天皇のまなざし」という展示をやっていた。明治五年から十八年まで六回にわたって明治天皇が全国各地を行幸した際に記録された写真や絵画、供奉した文学御用掛らの日誌が展示されていた。
スキーを雪艇と言ったり、津波を海嘯と言ったり、当時の呼び方が分かるのも面白かったが、中にはちょっとどうかと思われるものもあった。説明書きが外国人向けに英訳されている中で「駅」が一様に”station”とされている点だ。宮内庁の仕事にケチをつけるなんて甚だ恐れ多いことではあるがこれは当時の時代考証に手抜きがあったのではないかと思わざるを得ない。
明治十一年九月五日の「新町駅製糸場」の写真にはShinmachi Station Filatureと付記されているが、どうみても工場が駅舎の中にあるようには見えない。同じく明治十一年「金谷台御小休所より大井川金谷駅」は旅伏山中腹から簸川平野を見下ろしたような写真だが、これを外国人が見たら「どうして日本人はこんな山深いところに鉄道の敷設を急いだのだろう」と思ってしまうに違いない。
「駅」というのは元来官道に設置された宿場を表す言葉で、西洋から鉄道が入った時”station”には適当な訳語がなくステーションまたはステンションと言われていた(当欄第十四回参照)。後に停車場と呼ばれるようになったのは明治十九年生れの石川啄木がふるさとの訛りを聞きに行ったのが駅ではなく停車場だったことからも分かる。”station”の訳語として「駅」が定着するのは明治も終わり近くになってからなのである。

2015年3月3日火曜日

いじめ

フランスのシャルリー・エブドの風刺画も、大阪の水族館でのセクハラも、川崎の中学生が殺害された事件も、ある意味で同じ側面を持っているように見える。誰かが誰かに嫌がらせをしたり、いじめたりしているという構図だ。
シャルリー・エブドではイスラム教徒が嫌がるという事を知っていながら敢えてムハンマドの風刺画を掲載し、だが不思議な事に世論はそれを表現の自由の問題だとした。大阪の水族館では上司が女性従業員に嫌がらせの言葉をあびせ掛け、でも流石にこの時は表現の自由に言及する人はいなかった。上司が立場の弱い従業員をいじめるのが悪いのは当然として、経済力や軍事力で優位に立つキリスト教徒がイスラム教徒をいじめるのは自由だというのはどうにも筋が通らないような気がする。
いじめられた側の行動を比較してみよう。イスラム教徒は「われシャルリーにあらず」のプラカードを掲げて不快感を表明した。大阪の女性の行動はあまり報道されないが、直接面と向かってやめてくれとは言わなかったようだ。二審の無罪判決は「女性が明確な抗議をしなかったため、発言は許されると勘違いした。」事による。川崎の上村さんは自力での打開を目指し、周りに助けを求めるのは卑怯だ、とでも思っていたようなフシがある。同級生の「彼はいつも笑っていた。昨夏の夏祭りでも、今年2月にゲームコーナーで会った時も。だから気づいてあげられなかったのかも。」という証言が新聞に載っていた。
上村さんが自力で解決するためには相手を上回る体力や喧嘩の技術が必要だったろうが、もし過剰防衛気味に上村さんの方が逆に十八歳の少年を殺めたとしたら世論はどう反応したか。イスラム過激派によるシャルリー襲撃がその構図だと言うのは拡大解釈が過ぎるだろうが。

2015年2月25日水曜日

政府の仕事

前回当欄で紹介したピケティ教授は「だれが立派かを決めるのは政府の仕事ではない」に続いて「政府は経済成長の回復に専念すべきだ」と述べている。だが、経済に口出しするのも政府の仕事ではない、という人達もいる。古典派経済学の立場を取る人達で、神の見えざる手を信頼し、政府による経済介入は最小限に抑えるべきだと主張する。かつてアメリカのフーバー大統領もこの立場を取り、世界大恐慌に対し積極的な対策を取らなかった。
今では流石に経済対策を政府の仕事ではないという人は少ないだろうが、政府の仕事がどんどん大きくなりお節介になっているような気がするのは私だけだろうか。一ヶ月前の新聞によると、トルコの保健相が出産を終えた母親を祝福し「女性は母親と言う男性にない役割を持っている。他のいかなる仕事も優先させず、次世代育成に専念すべきだ」と発言したのに対し「政治家が女性の生活スタイルに介入すべきでない」という批判がトルコ国内で噴出したそうだ。
日本の政府もこれに劣らずお節介だ。平成十四年に成立した健康増進法という法律を御存知だろうか。その第二条には国民の責務として「国民は、健康な生活習慣の重要性に対する関心と理解を深め、生涯にわたって、自らの健康状態を自覚するとともに、健康の増進に努めなければならない」とある。そりゃあ健康の大切さは十分過ぎるほど分かっているつもりだが、それを責務として押し付けられたら、余計なお世話でしょと言いたくなる。毎日一升の酒を欠かさなかった若山牧水なら何と言うだろうか。
ただでさえ借金で首が回らなくなりそうな昨今、政府には「借金をしてでもやらなきゃいけない事なのか」を考えて政策立案してもらいたいものだ。

ピケティ教授

パリ経済学校のトマ・ピケティ教授による「21世紀の資本」という本が売れているらしい。格差是正の必要性を説く教授の主張は民主党の方針にも合致するのだろう、民主党は盛んに教授にすり寄っているようだ。
世間で評判の高い教授の講義が見られるとあって、教育テレビの「パリ白熱教室」には大いに期待した。だが実際にそれを見て「あれっ?!」というのが正直な感想だった。いま一つ面白くない。マイケル・サンデル教授による初代白熱教室とは比べるべくもない。やたらに沢山のデータが出てきて、それの解釈が主な内容で、演繹的な思索や理論性が少ないからだろうか。
中には疑問に思う内容もある。例えば「下位50%の生涯労働所得(平均)以上の遺産を相続する人の割合」というグラフが出てくる。つまり貧しい人が一生かかって得る収入総額以上の資産を相続する人が全体の何割いるか、という事だが、そのデータが一七九〇年から十年ごとにプロットされている。一七九〇年といえば日本で言えば田沼意次が死んだ頃の話だ。そんな時代に凡そ全世帯の収入や遺産の大きさが把握されていたのだろうか?
ピケティ教授は過去の納税記録をつぶさに調べて前述の本を著したとの事だ。しかし先日NHKの番組では資産課税は無理だとの批判に対して「百年前は所得税を課すことは無理だと言われていたが、今や所得税は当たり前になった。資産課税だって同じだ。」と発言していた。所得税が百年前になかったのなら、彼はどうやって当時の所得を把握したのか?
教授の理論を眉に唾をしているこの頃だが、賞賛したいこともある。それはフランス政府からの勲章を辞退したという事だ。教授曰く「だれが立派かを決めるのは政府の仕事ではない」と。これには大いに拍手!!

2015年2月21日土曜日

過去の記録

過去の記録は下記を参照下さい。
http://mtamaki0123.blog.so-net.ne.jp/

はじまり

2015年2月21日 Googleにブログ機能のある事を知り、始める。
過去のコラムは下記を参照下さい
 http://mtamaki0123.blog.so-net.ne.jp/